浅草線

読み:あさくさせん
外語:Toei Asakusa-Line 英語
品詞:固有名詞

東京都交通局の路線(都営地下鉄)の一つ。都市計画1号線。

目次

区間は押上〜西馬込。

主要経由地は日本橋、新橋、泉岳寺、五反田。

建設経緯

計画

混雑の激しいJR総武線を救済するため、総武線方面の乗客を京成線経由で分散させることを狙って建設された。そのため、当初から京成線との相互乗り入れが計画されている。

地下鉄と郊外電車を直通運転させるという考えは、日本はもちろん世界でも前例のないことであった。しかしこの成功を機に、地下鉄と郊外電車の相互乗り入れは日本では一般化した。

相互乗り入れと軌間

浅草線の南側区間は、かつて東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)が目指していた品川を目指し、そこから京浜急行電鉄に相互乗り入れすることになった。

銀座線は五島慶太の度重なる嫌がらせ(?)で渋谷方面に行ってしまうことになったため、銀座線の当初の計画を浅草線が引き継いだということになる。

この当時、軌間は京浜急行が標準軌京成電鉄が馬車軌(1372mm)だったが、東京都はごく自然に標準軌を選択することになる。このため、京成電鉄は軌間の変更を強いられることになった。

経営主体の問題

経営主体をどこにするかという点では、当初は当然ながら帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄)が考えられていた。

が、関東大震災以来、東京の地下鉄建設に口出しができなくなってしまった東京都が「逼迫する東京の交通網整備において公共性の高いものは行政が直接に行なうべき」(要約)という理屈を述べ、結果として東京都が行なうようになったいきさつがある。

これには東京の地下鉄の管轄を都が牛耳ろうという意図もあったのだと考えられるが、結果としては2007(平成19)年現在の東京の地下鉄は都営4路線、東京メトロ9路線という状況になってしまい、東京都の目論見は外れてしまった。

しかも、都営地下鉄三田線新宿線大江戸線など、「本当に公共性の高い」(見方を変えれば採算性が厳しい)路線を押し付けられることになる。

沿革

  • 1960(昭和35)年12月4日 ‐ 押上〜浅草橋3.1km開通(仮称「都営1号線」)。当初から京成電鉄との相互乗り入れを実施
  • 1962(昭和37)年5月31日 ‐ 浅草橋〜東日本橋0.6km開通
  • 1962(昭和37)年9月30日 ‐ 東日本橋〜人形町0.7km開通
  • 1963(昭和38)年2月28日 ‐ 人形町〜東銀座2.4km開通
  • 1963(昭和38)年12月12日 ‐ 東銀座〜新橋0.9km開通
  • 1964(昭和39)年10月1日 ‐ 新橋〜大門間1.1km開通
  • 1968(昭和43)年6月21日 ‐ 大門〜泉岳寺間2.6km開通。京浜急行電鉄と相互直通運転開始
  • 1968(昭和43)年11月15日 ‐ 泉岳寺〜西馬込6.9km開通(全線開通)
  • 1978(昭和53)年7月1日 ‐ 正式に浅草線という名称が付けられる
  • 1989(平成元)年3月19日 ‐ 江戸橋駅を日本橋駅に改称(東京メトロ有楽町線江戸川橋駅開業に伴っての改称。なお、改称前から日本橋駅との連絡は実施)
  • 1991(平成3)年3月31日 ‐ 北総開発鉄道(現・北総鉄道)と相互乗り入れ開始
  • 2002(平成14)年10月27日芝山鉄道と相互乗り入れ開始
  • 2007(平成19)年3月18日PASMO導入
  • 2011(平成23)年2月26日C-ATSを全面的に採用 (1号型ATS廃止)
  • 2013(平成25)年3月23日交通系ICカード全国相互利用開始

接続する路線

以下、(ラチ内)はラチ内乗り継ぎ可能なことを示し、記述の無いものは全てラチ外乗り継ぎとなるものを示す。

なお、※を附したものは、十分乗り換え可能だが運賃上は乗り継ぎ扱いにならないもの。

複雑な乗り入れ

広範囲な乗り入れ

現在の相互乗り入れ区間は非常に広い。

押上から京成線成田空港、芝山鉄道芝山千代田、北総鉄道北総線(旧北総・公団線)印旛日本医大までの各駅と、泉岳寺から京浜急行線羽田空港および三崎口まで、広範囲なものになっている

このため、乗り慣れないと何処へ行く列車なのか判断が難しく、違うところへ連れて行かれたりする。

多様な列車種別

浅草線内では、列車種別の表示は乗り入れ先での種別を表示するのが基本となっている。

浅草線〜京浜急行に直通する列車は全て京浜急行線内は優等運転するので、浅草線内で昼間に南行の列車を見た人は「いつまでたっても各駅停車が来ない」と勘違いする人も登場した。

後に浅草線内でも急行運転する列車が登場するようになって、ますます複雑化に拍車がかかってしまい、乗客の誤乗を防ぐために浅草線内での列車接近の際のアナウンスや停車駅案内などは複雑怪奇なことになってしまっている。

また、その列車種別と行き先の多さから、浅草線に乗り入れる車両は早くから行き先表示と列車種別を別々に表示できるタイプが用意されていた。

多様な車種

種類

普通の鉄道会社では、1路線につき2〜3車種程度しか用意しない。相互乗り入れの会社も2〜3社というのが普通なので、一つの路線で極端に多くの車種を見ることはない。

しかし、浅草線では乗り入れ会社が5社(かつては公団線を含めて6社)もあり、しかも各会社が複数の車種を持ち(但し芝山鉄道、北総鉄道の車両は京成の車両と同じ)、その上、京浜急行と京成電鉄は特に車種が多い。そのため、浅草線を走る車種は20種類以上になってしまったこともあった。

運転士の苦悩

これに泣かされるのは運転士である。

基本的な部分は1号線規格で統一されているものの、加速度の違い、ブレーキの利き方、ワンハンドルマスコンツーハンドルマスコンか、椅子の調整、非常時の対処方法などなど、あらゆる車種に対応しなければならない。

ラインカラーは全ての色

あまりにも違う車両が続々と走るため、ローズピンクと決められている浅草線のラインカラーは結果として完全に無視されている。

東京都交通局も開き直ったのか、都営5300形電車にはピンク色の帯を巻いていない。

都営浅草線の電車(馬込車両基地)
都営浅草線の電車(馬込車両基地)

車番の振り方

車番の振り方も1号線規格で定められている。

基本的には4桁の数字で、千の桁を京急が0〜2、京成が3〜4、都営が5〜6、北総が7〜8、公団が9を使うと定められていた(芝山鉄道は京成の番号を間借り)。

しかし、京急に関しては車種を乱発するために番号が足りなくなり、廃車された車番を再度使いまわして充当している(600形や1000形など)。

複雑な車両運用

各社清算方法

一般に相互乗り入れにおいて、自社線内を走る他社の車両はその他社から車両をレンタルしたものと見なし、車両の走行距離の差が各社間でちょうど0になるように車両を運用することで、金銭取引が行なわれないようにすることが一般的である。

しかし、浅草線系統ともなると、簡単な方法では車両走行距離を0にすることはできない。そのためにダイヤ改正の度に、これまで持ち出しが続いていた会社は今度は持ち出しが発生しないようにするというような調整方法が続けられてきている。

このような状況もあって、走行距離の調整のために京成上野駅になぜか京急の車両が現われたり、京成の車庫で京急の車両が一泊したりする珍現象が発生することもあった。

走行距離で清算するのは一見合理的に思われるが、実際にはかつて京急は都営5300形電車を自社線内で120km/h(288km/hBeat)運転で酷使したことがある等の問題もあり、公平な清算が行なわれているとは言えないようである。

営業上の要求

運用的には、京急がかなりの無理難題を各方面に要求し、混乱を招いている。

例えば、全席ボックスシートの京急600形3代目電車が朝ラッシュの浅草線内に進入したことがある。これはさすがに問題がありと判断されたか、朝ラッシュ時の相互乗り入れ運用はその後一時中止され、後にシートのロングシート化が行なわれることになる。

他にも、エアポート快速特急に600形3代目が充当され、ボックスシートの電車が浅草線内を急行運転するという愉快な状況が生まれている。

また京急は、2ドア車である2100形電車の浅草線内乗り入れも要求したことがあったが、さすがにこれは交通局と京成の猛反対で頓挫した模様である。そのため、2100形の乗り入れは泉岳寺までとなっている。

複雑なダイヤ

乗り入れが複雑なため、ダイヤグラムの設定も困難を極める。特に、京成のダイヤは40分ヘッドが基本であり他社とは違うため、浅草線のダイヤはその緩衝材として多大な影響を受けているようだ。

複雑な状況であるため、万一事故などで列車ダイヤが乱れると、なかなか復旧しない(できない)。各会社の運転指令は騒乱を極め、その日が終わるまで泣くことになる。

例えば2007(平成19)年3月29日08:00(@000)ごろ本所吾妻橋駅で発生した人身事故では、遂に終電までダイヤが乱れたままだった。この日は、見た目は昼頃に一旦ダイヤ通りになったのだが、車両運用上の問題により、夕方のラッシュでまたダイヤが乱れてしまったのである。

もし浅草線系統でダイヤが乱れた場合、各社は列車ダイヤの回復を最優先とするが、運用が複雑なため、普通では考えられない変な列車運用が行なわれることが多い。ゆえに(乗客には大迷惑だが)マニアには人気が高く、ダイヤ乱れが発生するとカメラを持って(主に京成や京急の)駅に走る人間が少なからずいる。

部分開通

不必要なほどに細かい部分開通を繰り返してきたのも特徴である。

浅草線の建設経緯は「総武線救済」であった。しかし、当初の開通区間は押上〜浅草橋だったため、当の国鉄が「なぜ総武線の一番混雑の激しい区間に人を流し込むようなことをするのか」と、当然クレームを申し入れてきたのである。

これに対し都は「一刻も早く延伸しますから」と返事をしている。つまり、部分開通の繰り返しは国鉄に対する最大限の敬意だったのである。

保安装置

保安装置は、日本の地下鉄で唯一ATSを採用しているのが特徴である。また、東京の地下鉄で唯一地上信号を採用しているのも特徴である。

他の地下鉄路線の保安装置更新状況を見ると、軒並みCS-ATCなどATCが採用されていることから、将来的には日本の地下鉄で唯一のATS、地上信号採用線区になるのは間違いないものと思われる。

なお、現在浅草線では1号型ATSからC-ATSへの移行作業が行なわれている。

乗客がいない

あまり混まないため、利用者にとっては良い路線である。北総線からであれば、朝に座ることが可能である。

そもそも、浅草線は総武線救済が建設の目的であった。が、実際には国鉄(現JR)も手をこまねいて見ていたわけではなく、通勤五方面作戦による総武線の複々線化と速度向上を実現させたため、京成線を経由して浅草線を利用する乗客は増えない状況にある。

現実に、京成電鉄の最混雑区間は大神宮下〜京成船橋の乗車率157%である。

つまり、京成線の乗客は船橋から総武線快速に乗り換えてしまい、押上まで乗ってくれない。また、千葉ニュータウン開発は大失敗したため北総開発鉄道の開通後も乗客が増えない状況である。

かくして、浅草線最混雑区間の本所吾妻橋〜浅草でさえ乗車率は121%であり、東京の地下鉄でもっとも混雑率の低い路線となっている。

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