首都圏の通勤輸送改善のため、1964(昭和39)年に国鉄常務会で制定されたプロジェクト。
戦後、日本の人口は都市に集中するようになった。
このころの東京の国電区間の朝のラッシュ時の乗車率は、総武線315%、京浜東北線307%、山手線299%、中央線快速279%、常磐線247%という超満員状態であった。
このような状況では、単純な列車増発、増車ではまったく輸送改善にならないため、複々線化を軸とした線増工事が計画された。
計画内容としては、次のような改善が核となった。
1973(昭和48)年ごろにほぼすべての計画が終了し、また地下鉄との相互乗り入れが広まったことで、東京圏の通勤事情は大幅に改善された。
しかし当初の計画に盛り込まれている中央線三鷹〜立川の複々線化はいまだに進展が無い(中央急行線は御茶ノ水〜三鷹までで止まっている)。
また常磐線では建設費削減のために綾瀬〜北千住の1駅間の建設を営団(当時)に任せたため、この区間を巡って運賃や輸送面で複雑な問題を残すことになった(綾瀬問題)。
その上、計画がほぼ終了してもまだ混んでいるというのが東京圏の通勤事情である。
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