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京王線からの乗客を相互乗り入れで都心部に持ち込むことを狙って建設された路線である。
相互乗り入れにあたって京王線を改軌することが考えられていたが、京王線側に線増の余地がないことを理由に都交通局側が1372mm軌道を採用することに落ち着いた。
このため新宿線開通当時は、都営地下鉄の軌道はすべての路線で互換性がないという事態が発生した。
当初は東側の終着駅はまったく決まっていなかったが、最終的には本八幡を目指すことと定められた。
本八幡の所在地は千葉県市川市なので、都営地下鉄としては初めて都外に路線を延ばすことになる。
この東側区間の建設は紆余曲折があったようだ。折りしも東京都と都交通局の財政が火の車になってしまい、それぞれ財政再建団体に指定されるのではないかと噂されていた時期で、運輸省(現、国土交通省)から建設許可が出ない始末であった。
しかしこの当時、すでに東西線の混雑はあまりにも酷い状態であった。更に東葉高速鉄道が開通すると東西線の混雑は収拾が付かなくなると考えられるようになった。
この事態の収拾を図るため、江戸川区の住民が東西線の駅を利用し続けるような状況、言い換えれば東西線以外に利用できる路線がない状況を改めるような改善策が求められていた。
そのためにまずは船堀までの建設許可が特別に行なわれた(船堀への乗客の集約は都バスを利用することにしたようだ)。そして、それが好調であった他、バブル景気で税収が回復したなどの理由により新宿線の建設に再び弾みがついたといわれている。
本八幡から先は、第三セクター鉄道の千葉県営鉄道が成田までの路線を建設することになっていた。だが、公共事業見直しの風潮が高まり、この計画は事実上挫折することになる。
元の予定は、本八幡〜新鎌ヶ谷〜小室〜印旛松虫(現 印旛日本医大)〜成田、であった。
そのうち、小室〜印旛松虫の免許は都市公団に譲渡、標準軌で敷設され現在は北総線の一部となっている。
印旛松虫(現 印旛日本医大)〜成田は成田高速鉄道、愛称「成田スカイアクセス」として2010(平成22)年7月17日に開通した。
本八幡〜新鎌ヶ谷間については、まだ千葉県は建設を諦めていないが、具体的な予定もない。
新鎌ヶ谷〜小室については建設しないことになった。
大島車両検修場建設の際には、六価クロム汚染騒動に巻き込まれて新宿線の開業が遅れるという事態が発生した。
かつては市川市が本八幡のほかにもう1駅、市川市内への駅建設を要望していた。しかし、補助金や条例の都合上不可能であったため、東京都が市川市を何度も説得しに行ったという逸話が残っている。
西行と東行で所要時間が1分違うが、これは本八幡駅が行き止まり駅で、過走したときの安全が取れないことを理由に駅進入速度に厳しい制限が掛かっているためである。
以下、(ラチ内)はラチ内乗り継ぎ可能なことを示し、記述の無いものは全てラチ外乗り継ぎとなるものを示す。
なお、※を附したものは、十分乗り換え可能だが運賃上は乗り継ぎ扱いにならないもの。
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