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京都府京都市。県の中央西部に位置する政令指定都市で、府庁所在地。
かつての平安京であり、今も天皇の御所(京都御所)が置かれる、日本の本当の首都である。令制国の分類では、山城国と丹波国の一部である。
大和時代、嵯峨野に定着した秦氏が桂川の治水に成功し、葛野川に大堰を造ったとする。678(天武天皇7)年に賀茂社(上賀茂神社、下鴨神社)が創建される。
平安時代、794(延暦13)年に桓武天皇が平安京に都を移した。
鎌倉時代、南北朝時代を経て、室町時代になると足利義満が北山第(金閣寺)を創建する。室町時代末期(戦国時代)に織田信長が侵攻、足利義昭が追放され室町幕府が滅びた。
安土桃山時代、1582(天正10)年に京都・本能寺にて、明智光秀が織田信長を討った(本能寺の変)。1596(慶長元)年の慶長大地震で京都は甚大な被害を被った。
江戸時代、征夷大将軍になった徳川家康が1603(慶長8)年に二条城を造営。1788(天明8)年に天明の大火が起こり、京都市街の殆どを焼き尽くした。
明治期になり廃藩置県が行なわれ、京都府が誕生した。以降、上京区と下京区の区域が京都市として誕生以降、周辺の町村を編入し、現在の市域に至る。
京都盆地と呼ばれる盆地の中にあり、気候の変化が激しい。冬は涼しく夏あったか、という状況である。
市内を、鴨川(高野川と合流以前は通称、賀茂川)、宇治川、桂川などの河川が流れており、水の豊かな都である。
周囲は山に囲まれており、特に左京区や右京区はその面積の大半が山である。東の比叡山、大文字山、西の嵐山、愛宕山などが有名である。
1927(昭和2)年に区政が敷かれ、鶴見・神奈川・中・保土ヶ谷・磯子区の5区が作られた。その後市域拡張や分区を繰り返し、1956(昭和31)年に政令指定都市になった時には10区、その後更に3回の分割によって現在は18区ある。
電話番号は、確認された最新を掲載している。なお、泉区のように代表電話番号がないものは、Webサイトに掲載された問い合わせ先(広報係など)を記述している。
コード | 区名 | 区役場の住所 | ||
---|---|---|---|---|
郵便番号 | 住所 | 電話番号 | ||
26101-7 | 603-8511 | 京都市北区紫野東御所田町33-1 | 075-432-1181 | |
26102-5 | 602-8511 | 京都市上京区今出川通室町西入堀出シ町289 | 075-441-0111 | |
26103-3 | 606-8511 | 京都市左京区吉田中阿達町1 | 075-771-4211 | |
26104-1 | 604-8588 | 京都市中京区西堀川通御池下る西三坊堀川町521 | 075-812-0061 | |
26105-0 | 605-8511 | 京都市東山区清水五丁目130番地の6 | 075-561-1191 | |
26106-8 | 600-8588 | 京都市下京区西洞院通塩小路上る東塩小路町608番地8 | 075-371-7101 | |
26107-6 | 601-8511 | 京都市南区西九条南田町1-3 | 075-681-3111 | |
26108-4 | 616-8511 | 京都市右京区太秦下刑部町12 | 075-861-1101 | |
26109-2 | 612-8511 | 京都市伏見区鷹匠町39番地の2 | 075-611-1101 | |
26110-6 | 607-8511 | 京都市山科区椥辻池尻町14-2 | 075-592-3050 | |
26111-4 | 615-8522 | 京都市西京区上桂森下町25-1 | 075-381-7121 |
多数の国道や県道、市道、林道などが走る。
確認できた範囲内。漏れがある可能性もある。
市内に道の駅はない。
市営バス以外は、概ね営業区域を北から南方へ。
京都市営バスと京都バスは名前が似ているが全く別物である。
市内に飛行場は無い。
この項目は、2015/04/30に有効期限が切れています。
上記期日以前は事実でしたが、現在では正しくない記述を含む可能性があります。
2011(平成23)年5月18日現在、市議会議員、定数69名、現役69名。
任期2007(平成19)年4月〜2011(平成23)年3月。
投票率は平均3〜5割で、投票率は低い。このため組織票に弱い。
一部字形については常用漢字に変更したものがある。
京都の住所表記には二種類がある。
どちらも正しく、どちらでも郵便物が届く。
京都市は政令指定都市であり人口も多いが、「住居表示に関する法律」(昭和37年5月10日法律第119号)に基づく住居表示を実施していない。
このため、住所の表示は土地登記簿による表示が採用されており、また自治体の合併などにおいても、昔ながらの地名を残すような気風が存在する。
具体的には、他の血自体と同様に「京都市○○区○○町○○番地」のように表現される。
基本的にはこの登記の表示が使われるが、次に示す、通り基準の住所も併用される。
下京区、中京区、上京区あたりまでは、公的な住所(町名+番地)は、役所で書類を書くときくらいしか使われていない。
そもそも京都の場合、同じ町丁名が異なる場所に複数存在し(つまり飛び地になっており)、区内ですらも重複する。全く違うところに「亀屋町」が5ヶ所もあるのを代表として、同一名が複数箇所にある例は枚挙に暇が無い。そのため他の自治体と違い、区名+町名だけでは正確に場所を特定しにくいという問題もある。
そこで京都では、日常は「通りの名前」を基準にした表記が使われる。
京都は、東西南北、碁盤の目のように格子状に道路が並んだ、条坊制を採用した街であり、交差点も通りの名前を二つ組み合わせて命名される。この通りを基準に、次の四つの表記で所在を表わすことができる。
カナの「ル」は略されることもあり、また平仮名で書かれることもある。
また「下ル」は縁起が悪いとして、一つ南の通りから「上ル」とする人(家)もある。どちらでも正しい。
通りの名前基準では、次の順序で場所を表現する。
この時は「河原町通」のように「通」までいう。
この時は「四条」のように「通」を略していう。
「上ル、下ル、東入ル、西入ル」の何れかを使う。
名前が無いまたは不明瞭な路地は、大通りから「○筋目」または「○丁目」のように呼ぶ。この時、東西南北、何れかの側だけ数えればよい。
そして、「○筋目東入」や、細かい路地の奥まったところでは更に繰り返して「○筋目○○通西入○筋目」などのように順次場所を絞るようにして表わす。
「東入北」は東に入った北側にあることを表わす。
これは基本的な表現方法で、明確な規格があるわけではないので、実際には地域ごとに若干異なる表現に変えられることもある。
お役所や、地図検索サイトなどでは、公的な住所でないと受け付けられない(ことが多い)。一方、市民は公的な住所で言われても場所が分からない。
そこで、まず区名までを書き、ここに通り基準の住所や交差点名などを続け、最後に町丁名と番地を書く併記法が使われるようになった。
例えば通り名基準として「京都府庁」を考えると、次のようになる。
役所は公的な住所を使うが、これだと普通の人は分からない。そこで、両者取り入れて「京都市上京区下立売通新町西入薮之内町」といった表記も使われている。
もう一例として「二条城」を考えると、次のようになる。
「二条堀川」は二条通と堀川通の交差点で、ここから西に入った場所にあることを表わす。「二条通堀川」とも書く。若干ニュアンスが違うが、「堀川二条」や「堀川通二条」もほぼ同義である。
通りの名前で表わす方法は論理的であるので基本的に迷子にはならない表現方法であるが、一方で住所が長くなりがちという弱点もある。
複数の住所が混在したり、亀屋町が5ヶ所もあるような所では郵便配達にも苦労したようで、郵便番号が7桁になったのは京都の住所が原因ではないか、などという嘘か本当か分からないような笑い話もある。
まず、京都の通りは碁盤の目状になっており、つまり縦横が格子状に規則正しく伸びている。
縦の通りは固有名詞になっており、これは実際に覚える以外にはない。横の通りは「○条」とし○に数字が入る名前が多い。南に行くほど数字が大きくなる。
これはかつて、平安京の北端を一条通とし、南に向かって増やしたのが始まりである。しかし現在の京都市は平安京よりも更に北まで範囲が広いため、この横の通りは条ではなく、縦と同様に固有名詞になっている。
なお、条は、いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう、と読む。道路標識の交差点名などはこれに準じてローマ字が振られる。例外はバス停の名前で、七条は「ななじょう」と読ませており「しちじょう」ではない。四条の「しじょう」との聞き間違いを避けるためと思われる。
京都の交差点は、互いに交差する通りの名前を組み合わせて命名される。
例えば、堀川通と北大路通の交差点は「堀川北大路」、河原町通と丸太町通の交差点は「河原町丸太町」、のようになる。
この時、どちらの通りの名を先にするかは明確な決まりはない。
基本的には南北の通りを先に書くが、東西の通りが主要であったり、東西の通りを先にした方が言いやすかったりする場合は、例外として左右の通りが先になる。明確な基準はない。
但し、移動中の場合で交差点の場所を指定するような場合、住所と同様に、移動中の道路を先に言う特例がある。例えば、「河原町三条」と言えば河原町通を三条通から上ルか下ルかするのだろう、のように理解され、「三条河原町」と言えば三条通を河原町通から東入ルか西入ルかするのだろう、のように理解される。
京都通り名を参照。
古都京都は日本でも有数の観光地である。無数にある観光地のどこに行くかで迷うことはあっても、行く場所が無くて困ることはない。
特に寺は無数にある。但し殆どの寺は観光客への開放をしておらず、観光できるのは有名なごく一部の寺に過ぎない。
代表的な観光地は次の通り。特に注記のない、バス系統は京都駅から、拝観料は大人個人のもの。なお、京都バスと市バスは違うので注意。
洛北や洛南は、京都駅からかなり遠くなるので、京都駅からそのままバスやタクシー等でのアクセスは適していない。別の鉄道の併用が必要である。
順不同。
京都は日本共産党が非常に強い地域である。
とはいえ、現実的には京の町は保守的な人の集まりであり、更に、商売を良しとする関西人である。決して共産主義者が多い訳ではなく、この地域独特の、様々な事情がある。
組織票がまずあり、労働組合、教職員組合、医師会などの強力な支持がある。
次に、同和団体に対する対抗がある。特権階級を要求する同和団体に対抗する唯一の政党が日本共産党であるため、同和団体への反発票が日本共産党へ向かっている。
さらには、カルト宗教への対抗である。京都は伝統的な仏教と神道の街で、カルト宗教のようなものを嫌う気風がある。共産主義は唯物論・無神論・無宗教を特徴とし、このためカルトなどと血みどろの戦いを続けている。もちろん共産主義者から見れば京都の神社仏閣も本来は敵だが、彼らの目には「単なる観光地」にしか見えていないらしく攻撃はせず、これが伝統的宗教家にとっては伝統的宗教を守っているように見えるとのことである。
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