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千葉県東端の銚子半島で銚子電気鉄道線を営業している中小私鉄(中小民鉄)の一つ。通称「銚子電鉄」「銚電」。
その社史は波乱万丈の一言に尽きる壮絶なものである。
元々は総武鉄道(現JR総武線)が計画した路線で、その後銚子遊覧鉄道(4年弱で廃止)、これを引き継ぐ形で後の銚子電鉄が誕生するが、初っぱなから挫折している。
銚子鉄道開業当時のトラブルは鉄道省からSLを借りて乗り越え、後に伊那電気鉄道から電車を譲渡された。戦争末期には国鉄からSLを借りて乗り越え、上田交通(後の上田電鉄)から変電器を購入して凌いだ。
こうして、開業以来一徹、中古だけで凌いできた脅威の鉄道である。
しかし、募金だけは頑として受け入れなかった。日立電鉄が廃業するさい、車両の無償譲渡の話が出たが、運搬費用(200万円と言われている)が払えず、断念することになった。
だがその後は支援の輪が広がり、やはり中古ではあるが新しい車両の購入まで実現された。
ボロくて小さな鉄道だが、恐らく日本で一位二位を争うほどに愛されている鉄道と思われる。
あわや廃線かという時期から暫くについてを記載。
2005(平成17)年度の事業売上は、次のように発表されている。
しかし、約2億円の負債を抱え、経営難に陥った。
2006(平成18)年度の事業売上は、次のように発表されている。
2007(平成19)年度の事業売上は、次のように発表されている。
2008(平成20)年度の事業売上は、次のように発表されている。
この車両のうち、澪つくし号を牽引できるのは、デハ800形・1000形の3両のみ。
全ての設備の刷新が必要だが、新品購入は不可能なので、中古で安いものを探して来る必要がある。
車両は、「車体」「台車」と、各種の制御装置等に分けることが可能で、それぞれは別のものを組み合わせることができる。
必要な要件は次のとおり。
直流600V出力のものが必要である。現在は300kW。
これが500kW未満なら電験三種を持っていなくても、電工一種(第一種電気工事士)の資格で主任技術者の業務が可能である。
しかし、容量500kW未満の小規模な変圧器整流器を使っている鉄道は少ない。500kW以上では電験三種が必要だが、現在の従業員に所有者が居るかは不明。
いずれにせよ、他社のお下がりを安価に拝借するためには、将来的に設備全ての1500Vへの昇圧は避けられないと考えられる。
銚子〜外川を結ぶ銚子電気鉄道線を営業している。
この鉄道はローカル線ではあるが、副業が好調で全体としては黒字経営であった。
しかし、建設会社の元社長が千葉交通から銚子電鉄の株を買い、銚子電鉄の社長に就任し経営権を握った。全く異業種の企業の買収目的は、自社建設会社の経営状態が悪くなったが銀行が融資しないため、鉄道会社の信用を利用して銀行に融資させることが狙いだったと見られている。
10億円ともされる駅舎改築などは自社建設会社に請け負わせて銚子電鉄から自社の運転資金へ転用することもあったが、遂に社長は銚子電鉄名義で神奈川の男性ら4人(報道による。恐らくヤミ金)から1億950万円の借金を実行し全額を着服、個人の借金返済に流用した。
現社長(当時専務)は事件発覚後に私財を投げ打ち、銚子電鉄の株式を取得して社長に就任し、現在に至っている。
ぬれ煎餅事業の好調のため、電鉄は全体としては黒字経営である。しかし、いきなり1億円以上の借金が舞い込み、資金繰りが悪化してしまった。利率が最低の0.06%と仮定しても、年600万円以上返済しないと借金の元金が減らない。
また前社長の刑事事件により銀行の審査も通らなくなり、融資が受けられなくなってしまった。
その上、2006(平成18)年末の電鉄発表時点で、車両の法定点検が資金不足で発注できず、運行に使える5両中1両は車検が切れて使えなくなった。更に年明けまでに1両、年度末までに2両の期限も切れる。点検や車輪交換に1両あたり400万円以上かかるが、日常点検を含めると4両なければ通常運行は維持出来ないとした。
従って、年末までに少なくとも3両分、1200万円が必要である。ぬれ煎餅(単価85円、荒利率約24%)で約60万枚、5000万円分を売らないとならない。
こうしてWebサイトにて「ぬれ煎餅」の購入を求めたところ、爆発的に賛同者が集った。
デキ3はドイツ製の2軸凸型電気機関車である。その形状は、凸という字で表現するに相応しい。かつては貨車牽引に使われたが、電鉄が貨物営業から撤退したため、現在は車庫にあり、主として鉄道ファンの被写体になっている。
車体は社員や有志の募金により維持され、現在も奇麗に磨かれており、稼働可能な状態で保存されている同電鉄のマスコットである。その上、現役で営業路線走行可能なデキ3は、世界でもここにしかない。
但し車検が切れているため、日本では営業走行はできない。客車牽引のためにはブレーキの改良も必要である。これら費用の調達は、今後のぬれ煎餅の売上に掛かっている。
なお、同じ名前の機関車デキ3が福井鉄道に存在するが、偶然名前が一致しているだけで、全くの別物である。
まるで廃屋のような本社、横領元社長から株を自腹で買い取るお人好しの専務(その後社長に就任)、2割カットの給料を全員が半額返上で頑張る従業員、労働組合が正常(ある意味異常?)など、この会社は存在自体が奇跡である。
現在は自治体等からは補助金も出ていない。募金は全て断ってきた。募金で成り立つものを会社とは言わないからである。
経営難であるが、地元が存続を求めた署名は9万筆にも上り、地元に熱心に愛される公共交通であるらしい(なお、銚子市民は約7万5000人)。
話題になる以前より地元が支え続けてきたのも、このような姿勢からと考えられる。また、話題になってから支持者が増えた理由も、同様であったものと思われる。
銚子電鉄の人は、電車を走らせるために、地元銚子発祥の菓子である「ぬれ煎餅」を焼いている。
銚子電鉄に煎餅の焼き方を伝授した煎餅屋「ぬれ煎餅のイシガミ」は電鉄沿線に多数店舗を持つ名店だが、銚子電鉄が電車を走らせ続けることを望み、無償で技術を教えていると言われている。
資金調達のため、古レールで作った「レール文鎮」や、以前からの人気商品「ぬれ煎餅」の通信販売に力を入れ話題となった。
「電車に乗ってください」ではなく「商品を買ってください」というあたりに現実が垣間見えるが、直に現金化できる既存の業務として、これが最適であるとしている。
例えば、同様に危機的状況だった茨城県の鹿島鉄道の場合、チョロQや記念乗車券、懐中時計などが通販の製品ラインナップであり、値段も安くはない。かたや銚子電鉄は「煎餅」である。
どちらが鉄道会社が売るグッズとして普通かと言えば、間違いなく鹿島鉄道である。だが、残念ながら鹿島鉄道のグッズはあまり売れず、結局廃線になってしまった。もし銚子電鉄が同様にしても、決して火は付かなかったと考えられる。
なぜなら、鉄道グッズはマニアしか欲しがらない上、価格が高ければマニアでもためらってしまう。しかも一度買えば終わりである。価格が安く、誰でも買え、また食べたら無くなってしまう食品というラインナップが、最大の特徴だったのである。
そもそもこの場合、「煎餅」という庶民的な食品で、しかも「ぬれ煎餅」という脱力感漂う食品であった。また、ぬれ煎餅はこの地元の特産品という点も土産としては魅力であり、その上、これに社運が掛かっていて、極限まで企業努力したが既にタイムリミットは目前、という絶望的状況だったからこそ日本人の心情に訴えかけられたのだと考えられている。
もっとも、仮に食品でも、もしこれがメロンなどブルジョアジーな食品だったなら、話の展開は違ったものになったと考えられる。悪い例として北海道の夕張市が存在する。
電鉄は全国より応援されることになったが、誰も電鉄に「寄付」はしていない。届くまで数ヶ月待ちでも、誰も催促せず、ただ待ち、リピートオーダーも次々に入った。しかし、金をただで渡しているわけではない。
皆、煎餅と鉄道グッズ、各々が欲しいと思うものを買い、それに対価を支払う。ただの商行為、それだけのことであった。また、広告なども増え、掲示板の広告や車内広告も増えた。だが誰も慈善などしてはおらず、また銚子電鉄も物乞いをしているわけではない。
応援者が増えず消えて行った私鉄は数多いが、ここまで支援の輪が広がったのは、このように、銚子電鉄が常軌を逸して「普通では無かった」ことによると思われる。
もって、今では日本で一番注目される鉄道会社となった。
銚子電鉄サポーターズなる市民団体も発足した。
事務所は、JR銚子駅構内にある社団法人銚子市観光協会事務局内に置かれ、顧問として銚子市長などが名を連ねた。
この会は会費を募り基金とし、預金利息等によって増やす。必要に応じて基金は、安全対策サポート、弧廻手形利用者サポート、ボランティアサポートなどの支援に利用される。全額一度に渡さないのは、基金として金額を増やす目的があるからである。
2007(平成19)年4月10日現在で会員は3255人と発表されている。会費は1口1000円からである。
第一回の基金支出は2007(平成19)年4月12日で、安全対策工事用とし、枕木2015本工事代金の970万円が、銚子市役所で行なわれた贈呈式にて寄贈された。
2008(平成20)年5月26日には540万円(合計1510万円)が寄贈され、同日に99万9,600円で踏切看板が設置されたとする。
同会は2008(平成20)年5月26日、一定の成果を上げたとして休止を発表した。
2007(平成19)年8月4日、ハドソンの協力により、犬吠駅前広場にて「しあわせ三像」の除幕・入魂の儀が開催された。
これは同社製品「桃太郎電鉄」に登場する「貧乏神」の頭に、それぞれ鳥、犬、猿を乗せた像である。神主により入魂され、玉串が奉納された。
それぞれ次の意味があり、併記する駅に設置された。
貧乏極まる銚子電鉄が貧乏でなくなるように、という願いが込められているもので、ハドソンの粋な計らいである。
銚子電鉄の車両は老朽化が進んでいた。現役5両中、2両(デハ701型、デハ702型)は戦前の1942(昭和17)年製造、1両(デハ801型)は1950(昭和25)年製造と古く、国土交通省からも早期更新を指摘されていた。
伊予鉄道の800系4両が購入できる運びとなったが、付帯工事費も含めて1億4千万円程度費用が掛かるということで、車両導入費用9,300万円のうち2,000万円を債券化し販売することにした。
車両支援は一口10万円からとなっており、特典は次の通りだった。
購入された車両4両は銚子港に到着し陸揚げされた(産経新聞は「漁港から電車を水揚げ」と表現した)。大型トレーラーに移され、2009(平成21)年11月6日未明に仲ノ町駅車庫と笠上黒生駅引き込み線への搬送作業が完了した。
この4両は1962(昭和37)年製造で、京王電鉄が2010系として使用後、伊予鉄道が1984(昭和59)年に譲り受け800系として運行してきたもので、伊予、京王両社の運転士らも、自分たちの運転してきた車両を残したいとしてオーナーに有志で参加している。なかなか熱い。
銚子電鉄は、1編成を京王ライトグリーンに塗装、もう1編成は伊予鉄色のままとし、これをデハ2000形、クハ2500形として2010(平成22)年7月24日から営業運転を開始した。
煎餅屋の副業として、鉄道の安泰かと思われた。しかし、そこに襲いかかったのは、2011(平成23)年3月11日に発生した平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震だった。
東日本大震災の被災は乗り越えたが、震災後の風評被害による観光客減少などで2011(平成23)年度の乗客は前年度比23%減の約48万人に落ち込み、2013(平成25)年3月期の経常損失は数千万円規模となる見通しとされた。
車両や電気設備その他の維持や交換資金も不足し、運行が継続できない状態となった。
これに伴い、自主再建を進めてきた小川文雄社長は相談役に退き、社外取締役だった税理士の竹本勝紀が新社長に就任した。竹本社長は2013(平成25)年2月1日、「自主再建路線は不可能と判断した。当面の運行に支障はないが、地域の足として存続できるよう、関係者と協議する」として自主再建を断念、地元自治体(銚子市、千葉県)などの支援を要請した。
今後の方針として、銚子市出身の企業家などが設立した財団法人から資金援助を受けたり、上下分離方式を実施したりしながら、経営刷新を進める予定である。
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