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ダイナマイトを発明したスウェーデン人、アルフレッド・ベルナルド・ノーベル(1833(天保4)年〜1896(明治29)年の遺言により設立された賞。
ノーベルはダイナマイトの発明により巨万の富を得た。ダイナマイトはトンネル工事などに無くてはならないものとなったが、同時に戦争の兵器としても使われるようになった。ノーベルはこれを深く悲しんだ。
ノーベルはこの悲しみを元にして、遺言に「基金を設立し、その利子を毎年、その前年に人類のためにもっとも貢献をした人に賞として与えよ」、「利子は5等分し、物理学の分野で最も重要な発見ないし発明をした人(物理学賞)、化学の分野でもっとも重要な発見ないし発明をした人(化学賞)、生理学ないし医学の分野で最も重要な発見をした人(生理学・医学賞)、文学の分野で理想主義的な最もすぐれた作品を生み出した人(文学賞)、国家間の友好と軍隊の廃止ないし削減と平和会議の開催ないし推進の為に最も尽くした人(平和賞)に与える」と残した。
この遺言を元に財団が作られ、1901(明治34)年からノーベル賞が与えられるようになった。
1969(昭和44)年からはノーベル経済学賞が新設され、現在は6部門になっているが、経済学賞は「ノーベルの名前を記念した賞」という位置付けであり、ノーベル財団+スウェーデン銀行創立300周年を記念して創設された基金からの定期的予算支出である。ノーベル財団からの支出ではない。
(経済学賞を除いた)ノーベル賞はスウェーデンのノーベル委員会が決めるのに対し、平和賞だけはノルウェーの委員会が決める。
この理由は諸説あるが、はっきりとは分かっていない。
選考過程はその時点では公表されない。
受賞者の発表は毎年10月頃に順次行なわれ、ノーベルの命日である12月10日に授賞式が催される。
ノーベル賞の受賞資格は、受賞する年の10月時点で生存していること。但し、発表後、12月の授賞式までの間に死亡しても、その賞が取り消されることはない。
受賞者に対しては、賞金と記念メダル、ならびに賞状が授与される。
ノーベルの遺産を原資に、投資によって得られた利息が賞金となる。従って金額は毎年変わる可能性があるが、2000(平成12)年は900万スウェーデン・クローナ、2001(平成13)年以降は1000万スウェーデン・クローナであり、日本円にして約1億円である。
各部門ごとに、最大で三人まで同時に受賞できる。
受賞理由が、複数人による共同研究であったり、あるいは共同ではないが複数人の業績により達成された件について表彰される場合、複数人に対し表彰されることになる。但し、文学賞は原則として一人のみ受賞でき、平和賞についてはその特徴から団体での受賞が認められている。
賞金はその人数で分割されることになる。共同でないなら各々1/3ずつ山分け、一人の功績と二人の共同の功績であるなら、一人と一つの共同に1/2ずつ、ということになる。
ノーベル化学賞は、化学の分野でもっとも重要な発見ないし発明に与えられる賞である。
日本人はこれまで6回受賞しており、単独で5回(計5名)、共同で1回(計2名)である。
ノーベル生理学・医学賞は、生理学ないし医学の分野で最も重要な発見をした人に与えられる賞である。
日本人はこれまで4回受賞している。
ノーベル賞のうち、ノーベル平和賞とノーベル文学賞は本来、受賞すべきと一般には考えにくい人が受賞することがあるなど選考理由が曖昧であり、存在意義を疑う意見もある。
だが、ノーベルがこの賞を作ったことには、理由があるとされる。
平和賞は、彼が好きだった女性が平和運動活動家だったから、と言われる。結果としてフられてしまったが、後に彼女はノーベル平和賞を受賞したそうである。他に、戦争の道具となるダイナマイトを作ってしまった反省から平和賞を創設した、とする説もある。
ノーベル賞に文学賞があるのは、彼がヘタクソなポエムを書いては文芸誌に送りつけるお文学趣味があったからだとされる。そういう意味で、大江健三郎にはお似合いの賞だ、とする厳しい論評もある。
ノーベル経済学賞は、市場主義者が受賞する傾向が強く、他の賞とは傾向が異なっている。受賞者はアメリカ人が多く、全体的には欧米人が受賞する賞である。
ノーベルは社会民主主義者であり、政治の介入をもってこそ市場は機能するという考え方であったが、ノーベル経済学賞はスウェーデン中央銀行が与える賞であるため、マーケット寄りとなっている。そのためにノーベルの考え方と異なる賞にノーベルの名が使われることとなっていて、ノーベルの子孫の中にはノーベル経済学賞を批判する人もいる。
日本人は過去一人もノーベル経済学賞を受賞していない。
理由は明白で、日本の経済学者のうちマーケット中心のメカニズムを持っている人は半分程度しかいないこと、残りの半分はマルクス主義者(つまり共産主義者)やその他であり、受賞候補者では無いことがある。
日本の戦後の経済学は欧米型の経済学ではなく、共産主義であるマルクス経済学に毒されていた。日本の経済学の基礎が発展する重要な時期に無益なマルクス経済学ばかりだったというのは、日本にとって大きな損害であった。その後も独自の経済学が発展したこともあり、正統派とされる経済学とは趣を異にしていることも、ノーベル経済学賞と縁遠い理由である。
ノーベル数学賞は無い。この理由については諸説あって良く分かっていない。
ノーベルは数学が嫌いだったためという説、また、当時ノーベルととても仲が悪かったマグナス・グスタフ(イェスタ)・ミッタク=レフラー(Magnus Gustaf (Gösta) Mittag-Leffler)という優秀な数学者がおり、彼に賞を贈りたくなかったためという説などがある。
現在、ノーベル数学賞に相当する賞は、フィールズ賞やアーベル賞である。
日本人はこれまで、経済学賞を除く全ての賞を、少なくとも1回以上受賞している。
受賞年 | 受賞者 | 受賞分野 | 出身大学 |
---|---|---|---|
1949(昭和24)年 | 湯川秀樹 | 物理学 | 京大 理学部物理学科 |
1965(昭和40)年 | 朝永振一郎 | 物理学 | 京大 理学部物理学科 |
1968(昭和43)年 | 川端康成 | 文学 | 東大 文学部国文学科 |
1973(昭和48)年 | 江崎玲於奈 | 物理学 | 東大 理学部物理学科 |
1974(昭和49)年 | 佐藤栄作 | 平和 | 東大 法学部独法科 |
1981(昭和56)年 | 福井謙一 | 化学 | 京大 工学部工業化学科 |
1987(昭和62)年 | 利根川進 | 生理学・医学 | 京大 理学部化学科 |
1994(平成6)年 | 大江健三郎 | 文学 | 東大 文学部仏文科 |
2000(平成12)年 | 白川英樹 | 化学 | 東工大 化学工学科 |
2001(平成13)年 | 野依良治 | 化学 | 京大 工学部工業化学科 |
2002(平成14)年 | 小柴昌俊 | 物理学 | 東大 理学部物理学科 |
田中耕一 | 化学 | 東北大 工学部電気工学科 | |
2008(平成20)年 | 南部陽一郎 (※) | 物理学 | 東大 理学部物理学科 |
益川敏英 | 名大 理学部 | ||
小林誠 | 名大 理学部 | ||
下村脩 | 化学 | 長崎医科大(現 長崎大) | |
2010(平成22)年 | 鈴木章 | 化学 | 北海道大 理学部化学科 |
根岸英一 | 東大 工学部応用化学科 | ||
2012(平成24)年 | 山中伸弥 | 生理学・医学 | 神戸大 医学部 |
2014(平成26)年 | 赤﨑勇 | 物理学 | 京大 理学部 |
天野浩 | 名大 工学部 | ||
中村修二(※) | 徳島大学 | ||
2015(平成27)年 | 大村智 | 生理学・医学 | 山梨大/東京理科大 |
梶田隆章 | 物理学 | 埼玉大 理学部 | |
2016(平成28)年 | 大隅良典 | 生理学・医学 | 東大 教養学部 |
※南部陽一郎は、日本生まれだがアメリカに帰化し、アメリカ国籍となっている。このため科学技術白書など公式文書では米国の受賞者として扱われる。但し、受賞理由『「自発的対称性の破れ」の発見』の論文発表時点では日本国籍である。
※中村修二は、日本生まれだがアメリカに帰化し、アメリカ国籍となっている。このため科学技術白書など公式文書では米国の受賞者として扱われる。但し、受賞理由『青色LEDの実用化』時点では日本国籍である。
幼少に育った場所ごとの一覧。出生地が異なる場合は出生地を併記した。
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