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青色発光ダイオード(青色LED)の量産方法の発明者。緑色レーザー半導体素子の開発者。カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授。ノーベル物理学賞受賞者。
主な著書は次のとおり。
よくある話ではあるが、世紀の大発明にも関わらず、当時在籍していた日亜化学工業(以下日亜)は、その発明を利用しながら中村を冷遇した(と中村は主張している)。
事実かどうかは定かではないが、中村の自著によれば「海外の研究者たちからは、スレイブ(奴隷)ナカムラと同情を集めたため、中村は日亜を去り、海外へ渡ることとなった」としている。
実際に日亜および日本を去った理由は海外からのオファーがあったためだが、海外に渡るとなると大きな決断が必要である。その決断をした理由は中村本人しか分からないが、部長待遇の出世によって研究できなくなったことが気に入らなかった説や、先代の社長に可愛がられていたものの日亜を乗っ取ったその娘婿の新社長と折り合いが悪かった説などいろいろある。
中村修二は日亜を退職し、2000(平成12)年2月に米カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校の教授に就任した。
また後に、日亜のライバルの照明開発会社である米クリーの関連会社に非常勤研究員として迎え入れられ、自ら発明し日亜の特許となっていた技術を用いない青色LEDや白色LEDの開発などに尽力した。
中村退職後、ライバルの勃興に危機感を抱いたらしい日亜は中村に嫌がらせの限りを尽くし、ライバル勃興の妨害をした。これは、中村の自著から判断できる。
その後、日亜は中村らを機密漏洩で裁判に訴え、訴訟合戦となった。
この裁判は日本国内でも大きな議論を招くことになるが、最終的には日本における発明史上で最高額となる8億4000万円を日亜が支払うことで両者は和解することになった。
和解は成立したが、しかし、この時点で既に中村の発明は使っていないことになっている(裁判で日亜はそう主張した)ので、日亜からみれば完全に無駄金の支出になるのだろう。これに伴い、日亜は既に使っていないと主張した特許の放棄も余儀なくされた。
中村のために2億円の装置の予算を会長決裁で通した旧会長は先見の明があったが、その後が芳しくなかったため、中村と無用な争いになった、と結論づけられる。
中村修二はカリフォルニア大学の教授となった。
中村が経営に参加するベンチャー企業、カーイ社(米カリフォルニア州)は、緑色のレーザー光を連続的に出すことができる半導体素子の開発に成功した。
この半導体素子を使えば、白色LEDも、より高効率のものが緑色レーザーで可能になると見込まれている。
日亜は、青色LEDの開発は中村だけの功績ではないとした。
もし日亜の主張どおりなら、開発現場に一緒にいた従業員が同じことを出来なければおかしい。だが現実には、ブレークスルーの当事者、中村修二だけがこのような開発を続け成果を出していながら、日亜には同等の開発をできる人材がいないことを見れば、結果は明らかである。
米テレビ界最高の栄誉とされる、第63回エミー賞の技術工学部門を受賞した。エミー賞は、かつて中村が勤務していた日亜化学工業などとの共同受賞である。
中村教授の研究成果は大型ディスプレイのバックライトや照明で使われるLED開発に繋がっており、この開発で先進的な役割を果たしたことが高く評価された。
授賞式は2012(平成24)年1月にラスベガスで開催される国際家電見本市、コンシューマー・エレクトロニクス・ショーで授与された。
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