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太陽系の天体の一つで、1705(宝永2)年にエドモンド・ハレーが軌道を予測した彗星(周期彗星)。
なし。
ハレー彗星の核は他の彗星と同様に氷を主成分とする「汚れた雪だるま」である。
太陽に接近する度、溶けて尾となるため核は縮んでいると見込まれるが、寿命はあと100万年と見積もられている。人類史上では30回ほどハレー彗星を見ているが、さらに1万回以上見られる計算である。
ハレー彗星は偏心軌道を約75年で公転する。
軌道は逆行しており、軌道傾斜角は約162°(黄道に対して約18°)である。
ニュートンの法則を用い、1531(享禄4)年、1607(慶長12)年に現われた彗星が1682(天和2)年に再び現われると予言したことに由来する。
これを予言したハレーは、残念ながら彗星の再来を待たず世を去ってしまったが、彗星は予言通りに出現した。そこでこのハレーの偉業を称え、彗星には彼の名が与えられたのである。
この彗星と人類の関わりは深く、古代バビロニアの頃から人類はハレー彗星をみていたとされる。
ハレー彗星1986(昭和61)年再来の時には、彗星の詳細な探査のために続々と探査機が打ち上げられた。人はこれを「ハレー艦隊」と呼び、宇宙科学史に於いて最大規模の国際プロジェクトとなった。
まず1984(昭和59)年12月に旧ソ連の2機の「ヴェガ」、次いで1985(昭和60)年1月に日本の宇宙科学研究所(ISAS)の「さきがけ」、同年7月にESA(欧州宇宙機関)の「ジオット」、同年8月にISASが「すいせい」を打ち上げ、ハレー彗星を観測した。
これにより、核の成分、核が自転している事実などを確認し、宇宙科学史に大きな功績を残した。
このプロジェクトの日本の動きについてはNHKのプロジェクトX 第112回で紹介されているが、残念ながらかなり不正確な内容で、あまり参考にはならない。
良くも悪くも、ハレー彗星の名を知らしめたのが、1910(明治43)年のハレー彗星だった。
この時のハレー彗星は地球に大接近し、地球はその尾の中を通過とするとして大騒ぎになった。なぜなら、ハレー彗星の尾には、成分としてシアンなど毒性のある物質が確認されており、このため、人類は滅亡する!(な、なんだってー!!)として騒がれた。実際には、彗星の希薄な尾など、地球の厚い大気層には影響を及ぼさず、何の影響も無かった。
のみならず、ハレー彗星の接近によって地球の空気が吸い取られ、5分ほど無酸素状態になってしまうなる流言飛語が広まり、タイヤやゴムチューブ、浮き輪などが飛ぶように売れたという逸話もある。
これを著している時点では、最も最近の接近は、1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけての冬だった。
しかし、残念ながら南半球でしか観測できず、つまり日本からは殆ど観測できなかったのである。この期間、多くのアマチュア天文家は南半球へと移動した。
次回は2061(令和43)年の夏である。
前回のハレー彗星が観られなかったと残念がるくらいの年齢では、次を観るのは相当難しいと思われる。
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