エホバの証人

読み:エホバのしょうにん
外語:Jehovah's Witnesses 英語
品詞:名詞

キリスト教系の新興宗教の一つ。教祖はアメリカの宗教家、チャールズ・テーズ・ラッセル(Charles Taze Russell)。アメリカで勃興し、世界中に広まった。

目次

カルト

キリスト教における三大異端(三大カルト教会)の一つ。キリスト教はこれをカルトとして扱っており、キリスト教の一派としては認めていない。

また、「日本三大カルト教団」(創価学会顕正会、エホバの証人)の一つでもある。

この二つに名を連ねるのは、エホバだけである。

教義

エホバは悪を憂いでいる。よって、やがてハルマゲドンが起こされる。終わりの日には、神に忠実なエホバの証人のみが救われ、エホバの証人以外は殺される。その後エホバの証人は楽園で永遠に生きることができる。

キリスト教はイスラムと並ぶ大宗教であるが、しかしそれらは偽物であって、真に正しいキリスト教は、いや、のみならず真に正しい宗教とはエホバの証人だけなのであり、エホバが導くのはエホバの証人だけで、救われるのもエホバの証人だけなのである。

エホバの証人により隔週で発行されている雑誌が「ものみの塔」で、世界中で、数多くの言語で発行されている。

この雑誌の出版社である「ものみの塔聖書冊子協会」が世界中の教派の事務所として機能していることから外部からは同一視されており、もってエホバの証人のことを俗称として「ものみの塔」と呼ぶこともある。

キリスト教との違い

キリスト教徒は、学び、働き、世の楽しいことを神とともに喜ぶ。賭け事や不道徳は慎み、恵まれない人を見れば施しをする。そして聖書の教えに忠実に従い、常に神を賛美し、祈るのである。

しかし、エホバの証人では、この様なことはしていない。多くの信者は、高校を卒業すると、大学へは進学せず定職にも就かずに、開拓奉仕という名の下で宗教活動を行なっているようである。一部には定職に就いている者もいるが、集会や伝道のため、いずれにせよ常勤は不可能なようである。

この両者は、丸っきり逆とも言える。どうしてここまで違うかというと、そもそも経典が違うからである。ゆえにキリスト教はこれをキリスト教と認めていない。

教典

キリスト教は、旧約に対し、新たに神と契約したので新約という。従って用いる聖書は新約聖書である。対して、ユダヤ教は今も旧約聖書を用いる。

一方、エホバの証人は新約・旧約両方を独自の解釈で用いている。エホバの証人の場合、テモテ二3章 16節の「聖書」を、新約・旧約両方を含めると解釈している。

この教典は「旧約聖書のようなもの」であるが、都合が悪いところは全て自分好みに変えてあるため、新約聖書でないことはもちろんだが旧約聖書ですらもない。なお、本物の聖書を読むことは禁じられている

このような理由により、エホバの証人は一般のキリスト教とは考え方が異なっており、「変形ユダヤ教系カルト」とするのが正しい、とする論説もある。

輸血問題

輸血拒否

エホバの証人は、日本では輸血拒否のカルトとして有名である。

理由は、経典である聖書に「血を食べていけない」と書かれているためである。具体的には、使徒15章 29節で、避けるべきものに血があり、これを輸血拒否の根拠の一つにあげている。

どんな宗教でもそうだが、タブー(禁忌)に科学的根拠があるとは限らない。これもその一例である。

血の教え

聖書の教えは、生き物を殺すことを良しとしていない。そして、生き物の肉を食べるということは、その生物を殺すことになり、さらにその生物を辱めることになる。これは許されないこととされた。

しかし、旧約聖書の創世記 第9章3節〜7節で、次のように述べられている。これは、ノアの方舟で有名なノア(聖書的には、人類共通の祖先であるとされる)に対し神が語った言葉である。

3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。

4 ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。

5 さらにわたしは、あなた方の魂の血の返済を求める。全ての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から、その兄弟である各人の手から、わたしは人の魂の返済を求める。

6 だれでも人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。

7 そしてあなた方は、子を生んで多くなり、地に群がってそこに多くなれ。

つまり、この教えから、次のように解釈することができる。

  1. 動物の肉を食べることは許されるが、その魂である血は食べてはいけない。
  2. 人の血を流すこと、つまり殺人は許されない。人の血を流せば、人により自分の血を流される(=死刑になる)だろう。
  3. 子供を産み、増やせ。

聖書に書かれていることを信じるとすると、人間は罪深いが、しかし血を神聖なものと考えることで、動物殺しの罪から逃れることができる、ということになる。

病院の対応

病院はどう対応するかというと、「本人の意志を尊重する」という病院が多い中でも、「問答無用で輸血する」という病院も少なからずある。

大手術

出血を伴う手術の際には輸血が不可欠であるが、信教上の理由により輸血ができないとするなら、手術は断念せざるをえない。しかし宗教的に考えれば、それこそが運命だったとも言える。運命を受け入れるかどうかは、本人の信仰次第である。

最高裁判断では、本人が輸血拒否している以上は、医者・病院の判断による輸血は、人格権・自己決定権侵害である、としている。その一方で、病院が手術を拒否したことで死亡したら、今度はそれを理由に裁判に訴えられることもあるので、難しい判断である。医師法によると、医師は正当な事由がない限り治療拒否をしてはならない、とされているからである。

賠償金

実際に賠償金を払うとすると、(治療拒否に伴う)死亡賠償は1億円のオーダーになるのに対し、輸血して賠償をとられる場合は慰謝料扱いなので1千万円を越えることはあまりないと考えると、輸血してしまった方が安上がりで安全であるとも考えられる。

結果として、病院によっては「問答無用で輸血する」という判断になるのだろう。

技術の進歩

現在では麻酔技術等の進歩により、1000mlまでの出血ならほぼ問題なくなった。臓器障害のない患者であれば、2500mlくらいでも輸液のみで循環動態を保つことができるようになっている。

何れにしても、病院にとっては迷惑な患者である。

暴力・非暴力

武道、戦争

聖書の教えにより、人の血を流してはいけないとされる。日本では今のところ馴染み薄いが海外ではよくある兵役、戦争への出兵拒否などは勿論のこと、日常でも武道などの激しいスポーツを拒否する。

例えば、人を殴ったり投げたりする柔道や剣道などはしてはいけないらしく、学校の体育の授業も拒否する。同様の理由で、怪我をしかねない騎馬戦なども拒否するようだ。

但し日本では、裁判の前例により、授業は免除される(授業を受けなくても成績に影響しない)ようではある。

児童虐待

その一方で、鞭などを使った、親による子供への過酷な体罰の存在が知られる。

日常的な児童虐待のみならず、子供が怪我や病気で輸血が必要になっても親がそれを拒絶し子供を信仰のために死なせるような例もあることから、古くから問題となっている。

主な行動

よく知られる特徴を以下に箇条書きとする。

  • エホバの証人以外との結婚は出来ない。
  • 婚前交渉(結婚前のセックス)は出来ない。
  • エホバの証人以外の異性とは、いわゆるデートをすることが出来ない。
  • 自慰行為(オナニー)も禁止されている。
  • 子供は、両親、および長老と称される者に逆らうことはできない。逆らえば、鞭によって戒められる。

またアメリカなどの例で、国旗敬礼・徴兵・輸血などに対しての拒否運動をしている。米国最高裁の裁判も、学童は忠誠の誓いや米国国旗敬礼を強制されない、という裁決を下している。

これは、崇拝すべき対象はエホバだけなので、それ以外に敬意を払わないという行動を表わしたものと考えることができる。

つまり、信者は次のような行動を取る。

  • 国旗掲揚をしない。
  • 国歌斉唱をしない。
  • 国家に忠誠を誓わない。
  • 天皇に忠誠を誓わない(日本の場合)。

国家の庇護のもとに自由な信仰や人権を享受しながら、国民としての義務を考えない自己中心的なものの考え方だとも言える。

ただし、教理に抵触しない事柄については法を守る(納税の義務を果たすことも含む)ことが、ローマ13章7節の解釈に基づいて要求されている(参考:「ものみの塔」誌 1996(平成8)年5月1日号等)。

布教

エホバの証人とキリスト教は、明らかに異なる。

エホバの証人は信者が伝道者となり冊子を持って町に出歩く。しかし、キリスト教では誰もかもが伝道者にはなれず、ゆえに冊子を持って町を出歩いたりもしない。

キリスト教の教師というのは、その教理をしっかりと理解している人のみがなれるものだからである。

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