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目が暗いこと。目が見えにくい、または見えない人のこと。漢字では「盲」と書かれる。
「めくら」というのは、あくまで、目が「暗い」ということである。
「目が見えない」などの直接的な表現ではなく、「目が暗い」と表現をするところに、日本人の言語的な感性があったと言える。
目が暗いとはどういうことか。この語は、意味合い(ニュアンス)のみが存在し、明確な定義はない。これは、日本語らしい曖昧な表現だからである。
ゆえに、「目が暗い」と「目が全く見えない」は、意味が異なる。「めくら」とは、必ずしも全盲を指しているわけではない。全盲という表現があることからも分かるように、盲(もう、めくら)という状態は必ずしも全く見えないわけではないのである。
失明寸前で色しか分からない視力0.0001程度であっても、視力が全く無いわけではない。こういった完全に視力を失っている訳ではない人を「目の見えない人」などと呼び捨てることの方が、よほど差別的である。
「目の不自由な人」というのも問題があり、そもそも目が不自由でない人とはどういう人かという新たな問題が生じる。近視や乱視などで眼鏡やコンタクトレンズがないと生活出来ない人は日本人にも多いが、どう見ても目が自由でない彼らを「目の不自由な人」と言わないのは何故なのか。
言葉を置き換えたところで単なる欺瞞、それならば素直に「めくら」と言う方が潔いではないか。
「めくら」という曖昧な表現は、直接的な「目の見えない人」などより、遙かに気を遣った言葉なのである。
「めくら判」「めくら蓋」などの語は「めくら」を含む、という理由だけで差別語だとし、同様にして排斥する動きがある。
また、「盲目的」といった日本語があるが、これすらもマスコミには差別語認定されており、言葉の置き換えがなされている。
言葉狩りも、過ぎればそれ自体が差別である。
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