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日本国北海道に属する島々で、北海道の本島より北にある島々のこと。
そして1875(明治8)年5月7日、明治政府は樺太千島交換条約を締結、日本が樺太を放棄する代わりに千島列島を譲り受けた。この時に本島と樺太島の間に国境線が引かれ、また千島列島も日本領となったが、条約に明記された18の島名には元々日本領だった北方四島は含まれていない。
この時点では、樺太はロシア領、千島列島は全て日本領である。
次いで日露戦争に日本が勝利し、1905(明治38)年9月5日にポーツマス条約が調印され、10月16日に批准され、11月25日にワシントンで批准書が交換されたことで、北緯50度以南の南樺太が日本領となった。千島列島はこの条約とは無関係に、なお日本領である。
この時点では、北樺太はロシア領、南樺太と千島列島の全てが日本領である。
そして時は第二次世界大戦末期、日本からすれば大東亜戦争末期の1945(昭和20)年8月8日、ソ連は日ソ間の中立条約を無視して日本に宣戦布告する。
この卑怯極まりない暴挙により、現在に至る領有権の混迷を来すことになる。
1951(昭和26)年、日本はサンフランシスコ講和条約に調印、これにより千島列島と南樺太の権利を放棄した。
但し北方四島は放棄されておらず、また重要なこととして、この条約に旧ソ連は調印していない。
現在も全千島と北方四島はロシアに占領されているが、そもそもロシアが領有する根拠は何もなく、これは不法占拠ということになる。
法的には、ポーツマス条約までの条件、つまり南樺太と全千島列島が日本領として日本に戻ることが正しい。しかし現状は、当該の島は一つ残らずロシアの支配下にある。
ロシアでは、国後島・色丹島・歯舞諸島を「南クリル地区」と呼び、南クリル地区の行政府は国後島の国後郡泊村古釜布(ふるかまっぷ)に置かれている。
また択捉島と、その北東にある得撫島(うるっぷとう)から新知島(しむしるとう)までの千島列島は「クリル地区」と呼ばれ、クリル地区行政府を択捉島の紗那郡紗那村に置いている。
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