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重い罪を犯した者に対して与えられる刑罰のうちの一つで、生命を断つことで罪の償いとするもの。
死刑になる理由も様々あるが、日本では概ね、殺人罪を犯したため死刑になる。
以下は、日本における死刑についてを説明する。
死刑は惨いことと言われている。なぜなら、死刑囚は殺されてしまうからである。
しかし死刑囚は、収監前には惨い殺人を犯している。死刑以上に惨い罪を犯したからこそ死刑になるのであり、一番惨いのは無為の人を殺害した凶悪犯の犯行に他ならない。
殺害された被害者の遺族らは、悲しさと悔しさで夜な夜な枕を濡らすが、個人的な復讐、私刑(リンチ)は、近代国家ではどこでも禁止されている。私刑は凄惨な状況になることが多いからである。
因果応報のみなら、私刑でも充分であるが、それでは国の治安が守れない。国が法に則り刑罰を下すのは、治安維持も大きな目的と理由なのである。
従って、個人的な復讐は禁止する代わり、国家が代わって、法に則り粛々と刑の執行(復讐)をする。
これが死刑である。
執行方法にも色々あるが、現在の日本では日本国憲法第36条で「残虐な刑罰」が禁じられているため、「残虐でない方法」でなされる。ジワジワとなぶり殺しにするような方法は取らず、苦しまないようにスッパリ執り行なわれる。
具体的には、刑法第11条により、次のように行なわれる。
第十一条 死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。
つまり、重罪人は首を吊って死んでいただくことになる。絞首刑は即死するため、苦しくないと考えられている。
外国では次のような処刑法が使われている。
外国では射殺や薬殺が多いようである。例えば支那では射殺、アメリカでは州により薬物注射、電気椅子、ガス殺、絞首刑、射殺、などで行なわれている。
特別法では、次の6種類である。
最後の組織殺人については、法で明確に死刑と書かれているわけではなく、結果的加重にて、死刑になる率が刑法のみ適用より高まることを表わしている。
刑法の内乱首魁、外患誘致、外患援助は、国家転覆のためにクーデターやテロルなどを起こした者、あるいは日本に攻め込む外国と共謀した者に対する罰である。
国という体制維持のためには当然の厳罰で、どんな国でもこれは厳しく罰せられる。
但し、日本ではこの刑で処刑された者は、過去一人もいない。
殺人でも死刑になりうるが、昨今では明確な殺意があっても被害者が一人ならまず死刑にならず、大抵は有期刑、たまに無期刑である。
但し、強盗致死なら明確な殺意を問わず死刑か無期刑となる。
刑法241条の「強盗強姦及び同致死」で規定されるもの。かつて、強姦致死は明確な殺意があっても無期または三年以下の懲役にしかならなかった。厳罰化が求められた結果、今は死刑又は無期刑となった。
二百四十一条 強盗が女子を強姦したときは、無期又は七年以上の懲役に処する。よって女子を死亡させたときは、死刑又は無期懲役に処する。
強盗を働き、更に婦女強姦致死という、極めて稀な場合に限定される罪で、この罪が適用された例は、現実には殆どない。
仮にこの刑が適用されたとしても、殺意が否定されれば死刑になることは無いため、概ね、強盗致死傷(刑法240条)+強盗強姦(刑法241条)という扱いにし、もって死刑または無期懲役の求刑、というケースが見られる。
かつて、尊属殺人、つまり親殺しは、通常の殺人より重罪だった。
が、ある事件を切っ掛けとして適用されなくなり、1995(平成7)年に正式に削除された。
特別法のうち、爆発物不法使用と決闘殺人は明治期の布告と法律で、特に後者は時代錯誤も甚だしいが今も有効である。死刑にはならないまでも、この決闘罪は今でも適用される。
航空機強取等致死と人質殺人は1970(昭和45)年に赤軍派が起こした日航機「よど号」ハイジャック事件を切っ掛けに作られた。
死刑は、刑事訴訟法第475条により、次のように規定されている。
第四百七十五条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
② 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
つまり、原則的には、判決確定の日から6ヶ月以内に首を吊っていただくことになる。
しかし、その後に書かれた規定に基づき、様々な請求、出願が成されることが多く、実際に半年で死刑が執行されることは稀である。
刑場は、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、広島、仙台の7拘置所・支所にある。
刑事ドラマなどでもよく描かれるが、死刑囚は独房に入る。そして24時間、例えトイレ中であっても監視される。執行の日までは健康でなければならず、ましてや自殺などは許されないからである。
拘置所生活の条件は次のとおり。
一日の日課は、次のとおり。
服装は私服である。いわゆる囚人服のような服は着ていない。
夏場は週2回、冬場は週3回程度、一日に30分程度まで、独居房から出て房外での運動が出来る。もちろん監視が付く。運動は一人だけだとする説があるが、他の独居房の死刑囚と一緒に、会話などをすることも出来るとする説もある。よく分かっていない。
入浴は夏場は週3回、冬場は週2回で、衣服の脱着含めて一人15分程度。一人ずつ入る。
面会、運動、入浴以外では、独房で座って過ごす。希望すれば軽作業等の仕事(アルバイト)をし、収入を得ることも出来る。このような収入や自分の財産で、新聞や雑誌、書籍などを購入することができる。
独房の中では、概ね自由にできるようである。少なくともドラマの中では、宗教の信仰も可能で、小さな仏壇を置き殺してしまった被害者に対して毎日祈る事は可能なようである。また、書道などで作品を遺すことも出来るようで、歌を詠み歌集を出す死刑囚などもいるようである。
食事は、刑務所と同様、麦飯やパンなどが主であるらしい。栄養も考慮されており、健康な生活をするのに支障はない。年末にはおせち料理なども出るといわれている。
また果物や菓子、缶詰などを購入して食べることも可能とされている。
刑事訴訟法第476条で、次のように規定されている。
第四百七十六条 法務大臣が死刑の執行を命じたときは、五日以内にその執行をしなければならない。
法務大臣が署名し印鑑を捺した後、5日以内の概ね午前中、一般的には署名からちょうど5日目の朝10時に、刑は粛々と執行される。
ちなみに、アメリカでは深夜に行なわれるらしい。
執行日を死刑囚にいつ通達するかは、法的な定義はなく、各拘置所長の裁量に任せられている。
かつては、拘置所長の判断により、その前日または前々日に死刑囚は所長室に呼ばれ、死刑執行が通達された。もって、本人立ち会いの「通夜」が執り行なわれ、その通夜では本人希望のメニューが並んだそうである。まさに「最後の晩餐」と言える。
しかし、1975(昭和50)年に、福岡拘置所の死刑囚に前日予告したところ、その当日自殺するという事件があって以降、言い渡しは執行当日が慣例化したらしい。
「最後の晩餐」にどのような注文が多いかは公表された記録がないため、よく分かっていない。
しかしアメリカの場合は幾つか情報が流出しており、チーズバーガーとフライドポテトが最も人気が高いのだそうである。次いで、ステーキ、アイスクリーム、フライドチキンなどがあるという。
ここから推察するならば、日本人なら寿司や蕎麦、ラーメン、天丼やうな重などの丼等であろうか。但し根拠はない。
毎朝8〜9時頃、例え執行の通達がない日でも欠かさず、監視官が独房の並ぶ廊下の鉄扉を開けて入り、コツコツと靴音を響かせて歩く。
もし刑務官が通過すれば、その一日は延命したことになる。独房の前で立ち止まれば、その死刑囚は独房に最後の別れをすることになる。
従って、毎朝毎朝、死刑囚は死と直面する。ドラマでは、この時に死刑囚たちは数珠を手に祈ったり、壁を引っかいてもがいたり、色々するようだ。これが死刑囚に科せられた、唯一の仕事である(死刑囚は懲役刑と違い、刑務所で仕事をしたりはしない)。
監視官が独房の前で止まり扉が開けられると、保安課長によって執行の旨通達され、死刑囚はその場で拘束、連行される。房の整理整頓の時間はない。
死刑囚は刑務官に囲まれて廊下を歩き、または引きずられる。途中の廊下には、万一の事故にそなえて、刑務官を多数配置し警備をしている。
ドラマなどによると、他の独房の死刑囚はこの時、扉を叩いたりして音を鳴らし、連行される死刑囚に対して別れの挨拶をするのだとされる。
執行方法は、刑事訴訟法第477条に規定がある。
第四百七十七条 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立会いの上、これを執行しなければならない。
② 検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ、刑場に入ることはできない。
執行にあたっては検察官(検事)と検察事務官が立ち会う。
死刑執行は死刑場で行なわれるが、どこにあるかは留置場によって違う。地下室の場合もあれば、2階にあることもあるようである。
刑場は、入ってすぐは教誨(きょうかい)室で、ここに祭壇がある。祭壇は仏教、神道、キリスト教で変更可能で、死刑囚の宗教に応じて祭壇を選択できる。仏教は宗派により仏壇が変わるが、選択可能とされる。キリスト教の場合はここに十字架を架ける。イスラムは用意されていないようである。
連行された死刑囚は、教誨室で、遺留する金品についての意向や遺言を聴き取られ、本人の希望により宗教教誨師を呼び教誨を受けることができる。
東京拘置所の場合、ここには仏画などが用意されており、ここで拘置所長により死刑執行指揮書が読み上げられ、死刑執行が正式に告げられた後、希望があれば改めて教誨を受けることができる。
また、刑場の祭壇には和菓子や果物などの飲食物が供えられており、それを食すことが勧められる。但し、酒はない。これは執行前に心を落ち着かせるために行なわれているのだと思われる。またこれは特に宗教の布教をしているわけではないので、政教分離とは無関係なのであろう。
最後に、遺書を書いたり、辞世の歌を詠んだりすることが許される。
なお、煙草はなく、「最後の一服」は出来ないとのことである。恐らく、火を扱うのは危険だからであろう。
拘置所により違うが、概ね同じ部屋に執行場(刑壇)が存在する。昔は17段の階段(13段ではない)を上らせたが、死刑囚が暴れると危険なので今では廃止され、その場から下に落ちるスタイルになっている。
教誨終了後、死刑囚は執行室の前の部屋へと移動する。
腕は前で組み、手錠をされる。足にはゴムバンドが巻かれる。死刑囚が立たされた先には、執行室とを遮る青いカーテン。これが、死刑囚が見る生涯最後の光景である。
医療用ガーゼで目隠しされた後、カーテンは開かれ、執行室の約1メートル四方の踏み板中央に立たされる。ここで、絞縄(こうじょう)と呼ばれる輪の付いた縄が首に掛けられる。縄の太さは約3cmで、特に新品というわけではなく、これは使えるうちは再利用される。
刑務官が死刑囚から離れたら、保安課長によって合図が出されブザーが鳴る。これを聞いた、壁で仕切られ執行場が見えない隣の部屋に待機した3人の刑務官により一斉にボタンが押されると踏み板が開き、死刑囚は下の部屋に落下することになる。踏み板が開閉する際には、かなり大きな音がするとされる。
このボタンであるが、踏み板の開閉装置に全てのボタンが連動しているのか、どれか一つが連動しているのかは不明である。また、ボタンを押した職員に支給される特別手当は1人2万円とされる。但し、執行経験の有無は誰にも話さないのがルールとされる。
踏み台の真下には排水溝が設置されている。死刑囚は死亡する際に失禁をして汚れるため、その洗浄等のために設置されているものと思われる。
死刑囚は数メートル落下するが、この時自重とロープによる拘束で、頚骨骨折と延髄損傷を起こし、死刑囚は即死すると考えられている。確認の術がないが、意識は瞬時に無くなるとされており、もって絞首刑は憲法で禁じられている「残虐な刑罰」では無いとされている(最高裁の判例にもなっている)。
執行に立ち会う検察官らは、ガラス越しに執行を見届けることになる。但し東京拘置所の場合、その位置は死刑囚の立つ踏み台の高さと同じで、約8.5m離れており、死刑囚が下の部屋に落ちた後も見届けられるよう吹き抜けの構造となっているとされる。
執行後、死刑囚の死亡確認は医官によって行なわれる。確認を始める時間は法定がないが、15〜30分後だと言われている。
そして死亡が確認され、刑の執行完了が確認された後は、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律第179条に次のように規定がある。
(解縄)
第百七十九条 死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから五分を経過した後に絞縄を解くものとする。
この条文は、かつての監獄法の次の条文に対応する。
第七十二条【解縄】
死刑ヲ執行スルトキハ絞首ノ後死相ヲ検シ仍ホ五分時ヲ経ルニ非サレハ絞縄ヲ解クコトヲ得ス
かくして、死亡確認後、5分してから執行は終了し、遺体は床に降ろされ納棺される。
死刑囚の遺族の意向に応じ、遺体か、施設内で火葬した遺骨として引き渡される。
但し、引き取りを拒まれることも珍しくないとされる。
死刑のメリットは、被害者の罪を正当に償わせ、類似犯罪の発生を未然に抑止することにあると思われる。
そしてもう一つのメリットは、再犯が絶対にないこと、終身刑と違って税金の投入もないことがある。
死刑のデメリットは、冤罪の場合、取り返しが付かない事になる点である。
このため、裁判には厳密性が要求されており、もって洋の東西・時代の今昔を問わず、「疑わしきは罰せず」あるいは「推定無罪」という、刑事裁判における原則が存在する。
当然、日本でもこの考えはあり、刑事訴訟法第336条に次のように規定される。
第三百三十六条 被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。
日本の刑事裁判の場合、立証責任が100%検察側にあり、被告人の犯罪を矛盾なく説明できなければ、被告人は(仮に真犯人だったとしても)無罪になる。
死刑の安定した執行のためには、捜査や裁判の方法を工夫、検討して、冤罪をなくすべく努力することが求められている。つまり、冤罪の有無と、刑罰のあり方は、本来は次元の異なる問題である。冤罪の可能性があるから死刑は廃止すべきだ、という論には全く正当性が無い。
日本の場合、司法はかなり優秀であり、最高裁まで争ってなお冤罪だったケースは、最近問題化している「痴漢の冤罪問題」を除いては、殆ど無いと考えられている。
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