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宇宙科学研究所(ISAS)により開発された、日本初の火星探査機。
打ち上げ成功後、「のぞみ」(望み)と命名された。
また、本体に27万人の人々の名前を刻んだプレートを備えている。
のぞみには全部で14個の観測機が搭載されていた。
紫外撮像分光計UVSは火星到着までの巡航期間、惑星間空間水素ライマンα光強度を測定した。
これは太陽から輻射される光で、惑星間空間中の中性水素原子によって散乱され、惑星間空間を光らせている。
この探査機は1996(平成8)年に打ち上げられる予定だったが、Μ-Ⅴロケット開発の遅延で結局2年遅れてしまった。
さて、1998(平成10)年打ち上げだと火星までに要するエネルギーが不足する。そこで、月と地球をスイングバイすることで加速し火星に向かうこととなった。
予定では、1999(平成11)年末に火星に到達するはずだった。
まず1998(平成10)年9月24日と12月18日に月でスイングバイを行ない、その2日後の12月20日に地球でスイングバイをして火星に向かう予定だったが、エンジンのバルブ故障で充分な加速が得られなかった。
そこでさらに2回の地球スイングバイを行なう軌道が設計された。
2002(平成14)年12月と2003(平成15)年6月に地球スイングバイを行ない、火星へ向かう軌道に投入された。
ところが今度は2003(平成15)年4月25日、電源系の一部が故障してしまったため、エンジン燃料のヒドラジンを凍らないように温めるヒーターが停止、火星周回軌道投入時に使う主推進エンジンが使用不能となった。
更に、データ送信を行なうテレメトリーモードとビーコンを発信するビーコンモードの切り換えが不能となり、ビーコンモードのままになってしまった。このままでは、テレメータデータを地球に送ることができない。
この電源系の故障は当初、4月発生した太陽観測史上で最大規模の太陽フレア(爆発)による高エネルギー粒子に暴露されたため、と考えられた。しかし2004(平成16)年5月にまとめた結果によると、粒子が直撃したのは22日で不具合発生の日時と合わない、探査機は徹底的な放電対策をしていた、などから、故障と太陽フレアとは無関係、と結論づけられた。故障原因は「不明」のままとなった。
ただし、いくら対策したとは言えフレアの影響がゼロとは考えられず、ある程度のダメージを「のぞみ」に与えたと見込まれる。そして、元々設計寿命3年のところ、既に打ち上げから3年半が経過していることから、電源の老朽化なども故障の原因として見込まれる。
身動きが取れないまま「のぞみ」は火星へと接近するが、2003(平成15)年12月9日、遂に火星軌道への投入は断念され、火星への衝突回避を確実にするための軌道変更をこの日の夜に実施した。これにより、のぞみは火星の軌道に近い太陽を中心とする軌道上を半永久に飛び続ける人工惑星となった。
しかし、「のぞみ」は完全に無駄になったわけではない。
「のぞみ」自身の貢献として、惑星間空間で水素のライマンα線を測定する等の各種の観測を実施し、貴重なデータを残している。
さらに、「のぞみ」は設計寿命3年のところ、スイングバイの失敗で火星到着は5年遅れになり、その間に太陽フレア被災、電源系の故障も経験した。この失敗を生かして作られたのが、あの伝説の小惑星探査機「はやぶさ」なのである。「はやぶさ」も「のぞみ」と同様に太陽フレア被災、数々の機器の故障や経年劣化にも耐え、予定を超えた長期運用に成功した。そしてついに任務を遂行し地球へと帰還した「はやぶさ」は、夜空を舞い地球の風となったのである。
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