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観測ロケットであるカッパロケットの後継として開発され、当時開発中だった本格的な人工衛星打ち上げ用ロケットΜ(ミュー)ロケットと平行して人工衛星打ち上げシステムの習得を目的として開発されていた。
しかし観測ロケットから人工衛星打ち上げロケットへのハードルは想像以上に高く、また政治的事情からロケットに欠かせない誘導制御装置の搭載が出来無かった状況下、1966(昭和41)年〜1969(昭和44)年まで打ち上げられた1号機〜4号機は失敗してしまった。
1回目は2段目の分離に失敗、2回目は4段目、3回目は3段目が着火しないという問題が発生、そして4回目は切り離した3段目が4段目に衝突するという事故が発生し、失敗となった。
だがこの失敗から得た経験や技術は、後のラムダロケットやミューロケットの開発・改良に活かされてゆくことになる。
そして1970(昭和45)年2月11日、λ-4Sの5号機(L-4S-5)で、遂に日本初の人工衛星、おおすみの打ち上げに成功した。
これは日本が、旧ソ連、アメリカ、フランスに次ぎ、独力で衛星を打ち上げた4番目の国となった瞬間だった。
またこの成功をもってラムダロケットの開発は終了となり、同1970(昭和45)年からミューロケットの打ち上げと改良が始まることになる。
裏話として、最初の4発は打ち上げに失敗したが、旧ソ連では「日本がミサイルの発射実験に成功」的なニュアンスで報道されていた。
つまりあのソビエトから日本は「悪の枢軸国」的扱いを受けていたわけである。このロケットが開発されていたのは、そういう時代だった。
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