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日本の戦艦で、大和級2番艦であり、日本海軍が建造した最後の戦艦である。
艦の大きさが分かれば、そこから主砲口径も推測できてしまう。「大和」と異なり、民間の造船所である三菱長崎造船所で建造していた「武蔵」では、その巨体をどうやって隠すかは非常に重要な問題となった。
対策として、船体の周りに棕櫚縄(シュロなわ)のカーテンを張り巡らせた。更に、外交公館の港側には、用も無いのにわざわざ倉庫を建てるという徹底ぶりであった。
1940(昭和15)年11月1日に無事進水したが(この際も訓練と称して、外出を禁じた)、この際にその押し退ける海水によって津波が起こり、対岸の民家が高波の被害に遭うという事件が発生した。
進水後、ただちに艤装岸壁に横付けされ、外側に目隠し用の空母「春日丸」をつないだ。
先に完成した「大和」の経験から旗艦設備と副砲の防御に改良を加えたため、予定よりもやや遅い1942(昭和17)年8月5日に就役した。
「武蔵」は竣工後、慣熟訓練を終えると直ちに連合艦隊が集結しているトラック島に進出、姉妹艦「大和」に代わって連合艦隊旗艦となった。しかし1943(昭和18)年4月18日に山本五十六連合艦隊司令長官がラバウルで戦死してしまい、暫くの間「武蔵」は長官の霊安室と化すという幸先の悪さであった。遺骨を載せてトラックを出港した「武蔵」は、1943(昭和18)年5月に横須賀に帰艦するが、これが初任務となった。
その後、陸軍部隊輸送のためトラックに向け呉出港、1944(昭和19)年3月29日にパラオより呉に向かう途中で米潜水艦の雷撃を受け1本命中した。
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