支那事変

読み:しなじへん
品詞:名詞

1937(昭和12)年〜1945(昭和20)年8月14日(ポツダム宣言受諾)まで、日本と支那との抗争のこと。

目次

ほぼ戦争の状態であったが、支那および日本は互いに宣戦布告をしていなかったため、これは「戦争」ではなく「事変」と呼ばれた。

日本ではこの事変と、後の対米戦(いわゆる太平洋戦争)を合わせて大東亜戦争と呼んでいる。

周辺の事件も含めた、年代の一連の流れは次の通り。

  • 1927(昭和2)年3月: 南京事件(第二次南京事件) 国民党の国民軍、南京占領
  • 1927(昭和2)年4月3日: 漢口事件
  • 1931(昭和6)年9月18日: 満州事変
  • 1932(昭和7)年: 満州国建国
  • 1932(昭和7)年1月〜3月: 第一次上海事変
  • 1936(昭和11)年9月23日: 日本人水兵射殺事件
  • 1937(昭和12)年7月7日: 盧溝橋事件
  • 1937(昭和12)年7月25日7月26日: 廊坊事件
  • 1937(昭和12)年7月26日: 広安門事件
  • 1937(昭和12)年7月26日: 平津作戦
  • 1937(昭和12)年7月29日: 通州事件
  • 1937(昭和12)年8月13日: 第二次上海事変
  • 1937(昭和12)年 南京事件(第三次南京事件) いわゆる「南京大虐殺」

状況

宣戦布告がなく始まったため、何月何日から、という明確な開始日は設定できない。

情勢は、1937(昭和12)年7月7日盧溝橋事件から悪化を始め、1937(昭和12)年8月13日に第二次上海事変が起こった。

実質的には盧溝橋事件に端を発するが、現在では第二次上海事変以降をいわゆる支那事変としている。

第一撃

盧溝橋事件

日本軍と国民党軍が共産党軍に夜陰に乗じて銃撃されたことで、日本軍と国民党軍が互いに敵を誤り交戦状態となった事件である。

両軍とも、何かがおかしいと感じたことから5日後には停戦するが、この事件が、その後の大東亜戦争の発端となった。

第二次上海事変

1937(昭和12)年7月29日通州事件を経て、1937(昭和12)年8月13日、支那軍が上海の日本人市民を攻撃したことで日本軍と行なわれた争いが、第二次上海事変である。

この抗争は遂に終わることなく戦火が広がった。このため、これ以降を支那事変という。

用語の所属
大東亜戦争

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