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横浜市の市歌。
1909(明治42)年7月1日に開催された、横浜港の開港50周年記念祝祭にて初披露された。
以降、横浜市民に歌い継がれている。
公立小学校でしっかり教え込まれるので、この曲を知らない横浜市民は私立の学校卒であるか、またはモグリである。
行進曲風の軽快な曲に、港町横浜の歌詞が乗せられている。
この歌は、先に作曲されて、そこに作詞されたとされている。
やや古い歌ということもあり、歌詞が今の日本語としてはやや難しめなのも特徴。
横浜は日教組が強い市ということもあり、国歌を拒絶する共産系の教師が多いことから、市立の小学校では国歌を教えず、代わりに校歌と横浜市歌を熱心に教えている。
覚え方も特徴があり、あまり歌詞を文字で見ることがなく、耳で覚えながら歌う。小学生には難しすぎる歌詞や文字が多いからと思われる。このため「苫屋の烟」を「とやまのけむり」と間違って覚えている市民も少なくないらしい。横浜市歌なのに富山はありえないぞ!
しかしこの市歌、国歌よりも遥かに愛郷・愛国的な歌詞なのである。市歌なのに、歌い始めが「我が日の本は」であるとか、「果なく栄えて行くらん御代を」など、ストレートに国や天皇陛下に対する敬愛の念が表現されている。
表記揺れが多数あり、正確な歌詞は不明。
原詞は、明治期の歌詞であるので歴史的仮名遣いに漢字も旧字体であることは当然であるが、横浜市のサイトには現代かなづかいで次のように書かれている。
わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
連りそばだつ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通え
されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや
むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ
今はもも舟もも千舟
泊るところぞ見よや
果なく栄えて行くらんみ代を
飾る宝も入りくる港
JOYSOUNDでは、歌詞は次のようになっている。適時漢字を使用していることが分かる。
わが日の本は島国よ 朝日輝う海に
連り峙つ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え
されば港の数多かれど この横浜に優るあらめや
むかし思えば 苫屋の煙
ちらりほらりと 立てりし処
今は百舟 百千舟 泊る処ぞ 見よや
果なく栄えて 行くらん御代を 飾る宝も 入り来る港
幾ら現代のかなづかいと違うとは言え、勝手に表現を変えてしまえば、作詞者の意図するところに反する可能性がある。
そこで原詞ということになるものの、明確な資料がないため正確性は定かではない。その状況で、流布している元々の歌詞は、次のようであったという。
わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に
連り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ
されば港の数多かれど 此横浜に優るあらめや
むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處
今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや
果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港
当然ながら発音は変わらない。漢字は旧字で、旧仮名遣いとなっている。
この市歌を現代語に意訳すると、次のようになる。
我々の国 日本は、島国です。
朝日が輝く海に 連なり聳える島々であり、あらゆる国から船がやってきます。
そのため港の数は多いのですが、ここ横浜に勝る港はないでしょう。
昔を思えば、粗末な家から(炊事の)煙が ちらりほらりと立っているだけの所でした。
今や、多くの船がやってきて停泊している所を見ることができます。
果てなく栄えていく天皇陛下の世を 彩る宝物も入ってくる港なのです。
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