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皇位を後継者に譲った、元天皇のこと。通常は略して「上皇」(じょうこう)という。敬称は陛下であり、上皇陛下という。
史上最年少で天皇に即位したのは第79代六条天皇で、なんと生後わずか7ヶ月と11日(数え年では2歳)である。
もちろん政務は不可能なので摂政が置かれたが、在位2年8ヶ月にして後白河院(第77代後白河天皇)の意向により、後白河天皇の第7皇子である憲仁親王(後の高倉天皇)に譲位、同様にして史上最年少の上皇となった。
しかも六条院は元服の年に満たない11歳8ヶ月(数えで13歳)にして崩御あらせられるという波乱の生涯であった。
譲位せずに崩御すると不吉とされた時期があり、このため差し迫った時期に譲位された例が幾つか見られる。
このような例では、殆どの場合、上皇はその数日後に崩御あらせられている。
これを著している時点で最後の太上天皇は、江戸時代後期である文化14(1817)年5月7日に恵仁親王に譲位し、その翌々日に太上天皇となった「光格天皇」である。
それから202年後に退位した、後述する第125代天皇明仁にあっては、特別法で太上天皇ではなくその略称である「上皇」の地位とされ、上皇が正式名称となっているため、「太上天皇」に限って言えば今も光格天皇が最後の太上天皇である。
平成時代、時の第125代天皇明仁は2016(平成28)年8月8日、映像として「おことば」を臣民に発布された(玉音放送)。これは平成の詔勅とも呼ばれている。
憲法上、天皇陛下が国政に意見を言うことは許されていないが、それを「おことば」という形式を取るという離れ業で成し遂げた。かいつまんで言うと、高齢で職務を全うできないため、そろそろ皇太子殿下に譲位するべきである、というものである。
上述のように皇室典範は譲位を認めていないが、天皇陛下の言葉を重く受け止めた政府は法整備含め準備にかかり、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定、2019(平成31)年4月1日に新元号の発表、2019(令和元)年5月1日に譲位、という段取りを決定した。こうして天皇陛下は退位され平成時代は終わり令和時代へと移り、天皇陛下は平成院、上皇陛下となられた。
上述のように太上天皇ではなく上皇という地位ではあるが、天皇が退位して上皇となられるのは光格天皇以来202年ぶりのことである。
前述の第125代天皇明仁の退位等のために、皇室典範の特例を定めた日本の法律が「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」である。
この法律で、敬称「陛下」および「身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による」とされた。このため、上皇陛下の崩御では大喪の礼が執行され、天皇陵が造営されることになる。
また皇后陛下にあっては上皇后となる。その身位は「皇太后の例による」と定められ、敬称も皇太后と同じく「陛下」である。
宮内庁見解においては、上皇の英名はEmperor Emeritusである。これは直訳では名誉天皇と訳されるが、イギリスBBCは「grand emperor」とも呼んでいるという。
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