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PHS系移動通信事業者グループの一つ。および、そのグループが提供していたサービスブランド名。1995(平成7)年10月サービス開始、2006(平成18)年12月20日全滅。
社名の由来は明日の電話「明日TEL」から命名されたもので、英名は後からのこじつけである。またTelecommunicationsは必ず複数形で記述することになっていた。
かつて、郵政省(現在の総務省)が「PHS事業者は3社に限る」と規定した。
このため、NTTパーソナル(現NTTドコモ)とDDIポケットがPHS参加を表明した後の椅子は一つしか残っておらず、PHS開発に参加したその他の企業は単独で3番目の椅子を取るのを断念せざるを得なかった。
こうして、それらの企業が共同出資して生まれたのがアステルである。
各会社の細かな動きについては略す。
このような経緯から、アステルグループとは言っても当初から地域独自性が強かった。
アステルの特徴として、その出資した地域系新電電による独自網があり、これを使うことで自社PHS同士の通話料は対他社PHSよりも安い通話料金を実現させた点にある。
東京・関西・中国・九州・沖縄はNTT回線経由で(これを依存網と呼ぶ)、将来的には全て独自回線に移行し値下げを行なう予定だったが、アステルは赤字でインフラ投資能力が遂に得られず、結局次々と撤退したため、全国独自網化は遂に実現できなかった。
ちなみにサービス開始当初は、この独自網からNTT依存網へ、または他の独自網へのローミングができないという、他のPHSや携帯電話には見られない問題が見られた。これが解決したのは開始から2年半も経った1998(平成10)年4月になってからだった。
地域ブランド名 | 最終運営会社運営会社 | 終了日等 |
---|---|---|
アステル北海道 | 北海道総合通信網 | 2004(平成16)年3月25日終了 |
アステル東北 | 東北インテリジェント通信 | 2006(平成18)年12月20日終了 |
アステル東京 | 鷹山 | 2005(平成17)年11月30日終了 |
アステル中部 | 中部テレコミュニケーション | 2005(平成17)年5月27日終了 |
アステル関西 | ケイ・オプティコム | 2004(平成16)年9月30日終了 |
アステル北陸 | 北陸通信ネットワーク | 2004(平成16)年5月26日終了 |
アステル中国 | エネルギア・コミュニケーションズ | 2004(平成16)年12月9日終了 |
アステル四国 | 四国情報通信ネットワーク | 2005(平成17)年5月26日終了 |
アステル九州 | 九州通信ネットワーク | 2003(平成15)年11月19日終了 |
アステル沖縄 | アステル沖縄 | DDIポケットと統合 |
都合、全国で10社があった。しかし全てのアステルグループは経営が芳しくなかった。
唯一残ったアステル沖縄以外は全て親会社に営業譲渡され、その後は不幸な結末を迎えている。
アステル沖縄も旧DDIポケットと統合しWILLCOMとなってしまった。
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