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癩菌(らい菌)の感染によって引き起こされる慢性の細菌感染症。かつて、らい病(癩病)、天刑病などとも呼ばれたが、現在、これら別名は差別的であるとして、代わりに癩菌の発見者(ノルウェーのハンセン氏)にちなんでハンセン病と呼ばれている。但し英語では今もleprosyである。
癩菌の感染力は低いため、感染することはまれであり、主に幼児や先天的に免疫機能の低い人に感染する。
ハンセン病は末梢神経と皮膚が侵される病気で、皮膚障害(皮膚障礙)によって出来た結節に炎症が起き潰瘍が出来ると跡が残る。また、結節が目に出来ると失明する。
日本では癩病の発症によって住む場所を追われ、流浪となった患者を保護・隔離するために1907(明治40)年3月に "癩予防ニ関スル法律"(明治40年法律第11号)が制定された。この法律により、患者はほぼ強制的に全国15ヶ所の国立・私立療養所に隔離されることになった。
療養所に入ると、死んでもそこから出られず、療養所内の墓地に埋められる。この内部では本名とは別の名前を使うことになり、強制断種・堕胎が行なわれた。その生活は悲惨で、たとえ治癒していたとしても、罹患者と健常者は絶対的に区別された。
1943(昭和18)年に治療薬の "プロミン" が開発されるが、1953(昭和28)年に "らい予防法" が成立され、隔離政策が続行された。中絶も、優生保護法に基づいて継続された。ここで、患者を治療して病気を無くすのではなく、"患者が死んで居なくなるのを待つ" という国の方針が定まったことになる。その後1996(平成8)年4月に同法が廃止されるまで強制隔離政策がとられた。
これらの政策を基本的人権の侵害として1998(平成10)年7月、入所者らが熊本地裁に国を相手取って提訴した。2001(平成13)年5月11日に原告側全面勝訴となり、直後から政府は控訴の姿勢を示したが、5月23日に控訴断念という画期的な決断が下された。これにより "国の全面敗訴" が確定した。この決断により損失補償を立法措置により講じ、名誉回復と福祉の増進のための年金創設や啓発事業など、可能な限りの措置を取ることが約束された。
この決断は極めて異例であり、判例となってしまうため厚生労働省と法務省が控訴を検討していたのだが、小泉首相らの決断により控訴断念となった。これによってハンセン病患者に対する一連の訴訟は一応の決着を見たとされ、続く岡山・東京地裁に提訴された訴訟についても和解が成立し、問題は一応の解決を見ることとなった。
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