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コンコルドに対抗してソ連が開発した超音速ジェット旅客機(SST)。NATOコード チャージャー。設計局はツポレフ。コンコルドに酷似していたためコンコルドスキーなどとも揶揄された。
1968(昭和43)年12月初飛行。1973(昭和48)年6月3日にパリ航空ショーで墜落事故を起こしたものの、1975(昭和50)年暮れからモスクワから当時のカザフ共和国の首都であったアルマトイ(アルマ・アタ)間を郵便輸送機として運航開始。1977(昭和52)年11月に旅客輸送を開始したがわずか7ヶ月後の翌年6月1日に再び事故を起こし、102回の有償飛行を行なっただけでそのまま全面運航停止となった。その後も郵便輸送は続けられていたようであるがこれの停止時期は不明である。ただし、1984(昭和59)年には西側に全機の退役が確認されているので、これ以前ではある。生産機数はわずか13機に過ぎなかった。
ちなみに、このTu-144の主な運航路線がモスクワ‐アルマトイであった理由はなんだったのであろうか。これは、ソビエト共産党、つまりソ連の最高意思決定機関である中央委員会政治局の局員の中でモスクワから最も遠くに離れて住むジンムハメド・A・クナーエフが居たのがアルマトイだったからであると言われている。つまり、彼関係の重要書類をいち早く往来させるために、また緊急時に彼自身をモスクワへ運ぶために運航されていたというわけなのである。
ところで、生き残ったTu-144はなんとSSTでは完全に失敗したアメリカに1995(平成7)年に研究材料として買い取られ、NASAで超音速飛行研究のテストベッドとして1996(平成8)年から1997(平成9)年まで使用されていたらしい。
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