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平安京や京都御所の内裏の正殿。これは大内裏(宮城)の正庁である朝堂院の正殿、大極殿とは異なる。
天皇元服、立太子礼、および結婚の儀を含む様々な儀式が行なわれる場所。
ここで行なわれた天皇皇后両陛下の結婚の儀が、雛人形、雛段飾りのモチーフになっているとされる。
たまに即位礼をすることもあったが、後述する理由により、以降は紫宸殿で即位礼をすることはなくなった。
平安京では、安元3年5月27日(1177年6月25日)に平安京内で起こった大火災「安元の大火」で正庁の朝堂院は三度目の焼亡となり、この時に朝堂院の正殿 大極殿も消失した。
第81代 安徳天皇の即位礼までに大極殿の再建が間に合わなかったため、やむを得ず治承4(1180)年5月18日に紫宸殿で即位礼(この時満1歳4ヶ月)をしたが、幼帝の補佐をしていた平清盛は壇ノ浦の戦いで源氏と激突して敗北、もって平氏一門が滅亡してしまったため、安徳天皇も僅か満6歳4ヶ月という若さで入水し崩御あらせられることとなった。
このため紫宸殿での即位礼は不吉として恐れられ、以降長く太政官庁で即位礼をすることが一般化することになる。
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