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主権が人民にある政治体制。多数決によって全てが決まるシステム。その根幹に、思想信条および言論の自由の存在を前提とする。対義語は絶対君主制や独裁主義などである。
民主主義とは、平和的に、血を流さずに政治闘争をするためのルールであり、結果として「最大多数の最大幸福」が実現されるように社会を揺り動かす制度である。
つまり見切りの哲学であり、言い替えれば、少数意見の排除と見切りを制度化したシステムといえる。市場原理と似たような機能である。
人間は、選択を誤ることがある。その時は良いと思って選択しても、実際には良くないこともある。
民主主義はその前提に立ち、人は選択を誤ることもあるが、それで失敗しても皆で責任を取る。過半数が選択した=多くの人が選んだことが成功した/失敗した場合に、その利益や損害をみなで分け合うシステムである。
ここで少数意見などを取り入れ、それがもし失敗した場合、責任を取る人がいない。従って、少数意見などは徹底して排除をしなければならない。
その結論が「多数決」である。
「良い考え」とは誰にとってであるのか。
そして、誰が決めるのだろうか。「一人しか」「良い」と主張していない考えが「良い」ことであると。
ただの独りよがりなら、誰も賛同しないし大事にもしない。
また、本当に良い考えなら多数意見になる可能性が高い。
そもそも、「たとえ一人でも良いと考えるなら皆がそれを大事にする」。それは、民主主義ではなく独裁というのである。→朝鮮民主主義人民共和国
もし国に優秀な人間が一人でもいれば、それを代表として政治ができる。
しかし、世の中必ずしもそうではない。そこで皆が納得するよう、「仕方がなく」多数決による政治が考えられた。これが民主主義である。
日本語の「民主」は英語のdemocracy(デモクラシー)の訳語として日本で作られた語で、これが支那や朝鮮に広まった。その由来は「君主」への対語として、民衆が権力を持つものとして造語されたものである。
更にこの英語democracyの語源はギリシャ語である。ギリシャ語で「民衆」を意味するδῆμος(dēmos)と、「権力」や「支配」を意味するκρατέω(kratéō)から作られた、δῆμοκρατία(dēmokratía)を語源とする。
民衆の意思により政治を行なうというこの体制は、古くは古代ギリシャの「ポリス」(πόλις; pólis)(日本語では都市国家と訳される)という共同体などで生まれており、これがギリシャ語が語源であることの由来となっている。
こうして誕生した民主制は没することなく、古代アテナイ(Ἀθῆναι; Athēnai)(現アテネ)の直接民主制国家制度などを経て、フランス革命以降の近代民主主義制度へと繋がっていった。
多数決では、必ずしも正しい結果は得られない。皆が知らないようなことは、多数決では結論が出せないからである。
しかし、それで結果として誤った道を選び、国民が甚大な損害を受けても、それはそれを選んだ国民全員の責任ということで円満に解決をする。
また議員などを選出するにしても、その「候補者」は常に有限で、かつ必ずしも有能な候補者がいるとは限らない。民主主義は、悪い方に罰を与えることは可能だが、良いものを選ぶことはできない。これは、アテナイ(アテネ)の頃から変わっていない現実である。
特に、規模の小さな民主主義は、大抵ろくなことにならない。例えば田舎の地方議会などが言え、地方の場合は人口の少なさゆえに有能から程遠い者が多いため、結果として有能から程遠い者がリーダーになってしまう欠点がある。
数ある政治体制の中でも、民主主義ほど厳密なルールの遵守を必要とする制度はない。
仮に投票で決めたとしても、「自分は納得いかない」としてそれに反する集団が勝手なことをする権利を認めてしまえば、民主主義は簡単に崩壊してしまうからである。
このため、民主主義は思想信条および言論の自由の存在を前提としているが、それは決して無制限ではなく、法に定められた範囲内で、という但し書きが付くことになる。
日本においても、サヨクの金科玉条である日本国憲法ですら、第12条において「(自由及び権利は)国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と定められている。日本ではこのように公共の福祉に反しない範囲内で言論の自由が担保されているものの、マスメディアが腐敗しているため正しい情報を国民全員に伝えることができないという問題点がある。
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