IDO

読み:イドウ
外語:IDO: Nippon IDOu Tsushin Corp 英語
品詞:会社名

かつて存在したトヨタ自動車グループの携帯電話会社。正式名称は日本移動通信株式会社。

目次

現在はDDIKDD、IDOの3社合併により、KDDIに引き継がれている。

HICAP方式、TACS方式のアナログ携帯電話、PDC方式、cdmaOne方式によるディジタル携帯電話のサービスが行なわれていた。

1976(昭和51)年当時、携帯・自動車電話の周波数に指定されていた800MHz帯は、携帯電話事業者に対し1地域に2社までしか割り当てない、という郵政省(現在の総務省)の方針があった。

そのため、既に全国展開を進めていたNTT移動通信網(現、NTTドコモ)を除くと1地域に1社でしか展開できなかった。

IDOは関東地方東海地方だけのサービスを考えており、他の地域は他社とのローミングで対応することになっていた(後にローミング先はNTT移動通信網と決定する)。

しかし、この開いたエリアにDDIセルラーが参入することとなり、郵政省とIDOと話し合いの後、関東・東海をIDOが取り、それ以外の地域でDDIセルラーに免許がおりるという形で地域を分け合うことになったのである。

サービスエリアがまったく被さらないということが、後のTACS、cdmaOneにおける業務提携、ひいてはDDI、KDD、IDOの3社合併のきっかけとなるのである。

IDOは、日本で採用された1G2Gまでの携帯電話システムを全て事業化した会社である。しかし、好きでこうなったわけではない。

HICAP、PDC

当時の郵政省は「日本において携帯電話の形式は1種類のほうがよい」という意向を持っていたので、無理やり採用させられた。

ちなみに、IDO自体はディジタル携帯電話に関してはGSMを採用したかったらしい。

TACS

アメリカ政府の内政干渉で関東・東海地区にTACSが導入されるにあたり、サービスエリアの関係からIDOが泣く泣く事業化することになったもの。

折りしもディジタル携帯電話(2G)への移行の最初期のころであり、IDOとしてはこんな投資は絶対にしたくなかったに違いない。

cdmaOne

DDIセルラーと、対NTTドコモの共同戦線を張るために採用された。

しかし、IDO自体はすでにPDCに対して投資をしている真っ最中であった。cdmaOneに対する新規投資が重荷になり、それに伴いPDCのサービスが劣化したことがIDOにとどめを刺すことになる。

その他

兄弟会社であった当時のKDDは、W-CDMAをIDOで事業化することに意欲を燃やしていたことがある。これはさすがに事業費の調達にめどが付くわけもなくDDIの説得によりお蔵入りになり、代わりにcdmaOne上位互換のCDMA2000が採用されることになる。

結果としてこのCDMA2000がauの時代に花開いた。

2つのアナログ方式(HICAP方式とTACS方式)への二重投資などで抱えていた累積債務に加え、2つのディジタル方式(PDC方式とcdmaOne方式)を採用することになったことによる経営への悪影響は甚大な物だった。

サービス悪化と加入者数の伸び悩み

このことはサービスエリアや供給端末の品質の悪化を招いた。

HICAPはディジタル方式移行のため新規投資停止、cdmaOneの採用により、TACS、PDCは早々に見捨てられ不良資産と化し、全体的なサービス状況は惨憺たる状況となった。そのため、IDOでHICAP、PDCを利用していた顧客の流出を招いたといわれる。

かつてはその値段の安さからNTT移動通信網(現、NTTドコモ)よりも加入者数が多かった(IDO自体がNTTドコモのデッドコピー)にもかかわらず、この暗黒時代にNTT移動通信網に加入者数で抜かれることになる。このことが現在NTTドコモが圧倒的なシェアを持つ悪因となったのである。

落日

トヨタ自動車による子会社化

cdmaOne導入のための約1,500億円にのぼる設備投資を行なうため、IDOは1998(平成10)年3月に増資を実施した。

元々27.2%の株を保有していたトヨタ自動車が筆頭株主だったが、増資を更に引き受け、トヨタ自動車の出資比率が過半数を超えトヨタ自動車の子会社となる。

NTTという共通の敵

このような状況下、携帯電話方式がcdmaOneで共通化されたということで、打倒NTTドコモという点でIDOとDDIセルラーが合併するのではないかという噂話が流れ始める。

現に、IDOは移動体通信業界の競争を生き残るためにDDIとの合併を早くから模索していた。

しかし、元々トヨタグループとは犬猿の仲である京セラグループのDDIには合併に対する熱意がなく、関東・東海は日産から買い取ったツーカーグループで本格展開する予定だった。

合併

稲盛和夫の英断

ところがある日DDI名誉会長であり京セラ名誉会長でもある稲盛和夫の「つまらない意地にこだわらずに将来を考えろ」というDDIへの一喝で突然DDI側の態度が一転、KDDまで巻き込んでの再編劇となった。

なにしろ、稲盛を頂点とする強固なトップダウン体制で巨大化した京セラグループであるため、引退したとはいえ稲盛の意向は京セラグループ内では天声であり、逆らうことは出来ないものだったからである。

当初と現在

合併発表当初、いくらNTTへの対抗とはいえ会社の色が違いすぎるということで、合併は破綻するのではないか、あるいは内部分裂するのではないか、といった懸念がくすぶっていた。

しかし、稲盛和夫が陣頭指揮を執り、会社全体をDDI色に染める(存続会社はDDI)という形で合併後の体制が取られ、現在のKDDIに繋がっていくことになる。これは当時のNTTの強大さに危機を抱いた稲盛和夫の慧眼が正しかったということになるのだろう。

今(KDDI)も昔(IDO)もトヨタ自動車が大株主である。

昔は、移動電話といえば自動車電話なのであって、トヨタの高級車に自動車電話を取り付けて売るということをしていたので、その関係からトヨタ自動車がIDOに出資していたものである。

しかしながら時代が過ぎ、現在は運転中の通話は犯罪になってしまった。

IDO電光看板 昼
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IDO電光看板 夜
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IDO電光看板+TU-KA
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