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日本の小惑星探査機。第20号科学衛星「はやぶさ」。宇宙科学研究所(ISAS)(後のJAXA)が開発した探査機である。
日本初、世界初の試みを数多く与えられ、それらを次々と実施し、日本初、世界初の偉業を次々と達成していった、日本が世界に誇る小惑星探査機である。
TCMはTrajectory Correction Maneuver(軌道補正マヌーバ)を意味し、TCM-0から4まで、再突入までに5回が実施された。
はやぶさは、イオンエンジンの噴出口をきちんと真後ろ向けるため、日本の惑星探査機としては初めて三軸安定方式を採用した。
姿勢制御用の噴射ロケットと、縦・横・奥行きの三方向用にリアクションホイールと呼ばれる弾み車による制御機構が搭載されている。
2003(平成15)年5月9日13:29:25(@228)にΜ-Ⅴロケット5号機(Μ-Ⅴ-5)で打ち上げられ、無事成功した。
元々は2002(平成14)年12月に打ち上げる予定だったが、試験中に姿勢制御用の高圧ガス供給系に使われる気密保持用ゴム製パッキン「Oリング」が破損したため調査・交換のために延期された。
このOリングはアメリカ企業に発注したが、仕様書と全く異なる材質の不良品だった。
小惑星探査機でもあるが、実際は惑星間でイオンエンジン「μ10」の航行試験をする工学試験衛星であり、実証試験衛星機である。
しかし、それだけでは打ち上げても面白みに欠ける(?)ので、別に開発されたサンプルリターン技術と組み合わせた探査機を作り、打ち上げるに至った。
サンプルリターンに成功出来るかどうかは誰も分からないが、それはあくまでも余興。イオンエンジンで小惑星へ到達させることが探査機の主要な目的である。
エンジン以外の部分が、無謀というか異常な設計になっているのは、本来の目的ではないためと考えられる。
プロジェクト達成度は点数評価されている。
100点がエンジン1000時間稼働となっているのは、元々そのための試験衛星だからである。
エンジンは2003(平成15)年6月25日に4基中3基の24時間連続稼働を開始し、その後目標の1000時間稼働を余裕でクリアした。かくして目標到達100点を獲得した。
しかし、ここで終わらせないのが「技術者魂」なのであり、宇宙に夢を追い続ける男たちのロマンというものである。
2004(平成16)年5月19日に地球スイングバイに成功し、150点達成。
2005(平成17)年9月12日に遂にイトカワに到着し、200点を達成した。
到着まで、新型イオンエンジンを延べ26,000時間/台運転したうえ、稼働中の三台は一台も故障していない点や、光学航法をほぼ完璧に実施した点、小惑星近傍で精密な探査機位置の誘導制御を実現させたことは、特筆すべき優れた成果である。三つのジャイロのうち二つまで故障しても工夫を凝らして小惑星に到達させた技術も誇るべきものがあろう。
その後、イトカワに対し2回の着陸を実行、うち一回の着陸でサンプル採取に成功したと考えられている。本来ならここで300点だが、このときは微妙だったので暫定的に275点とされた。
2010(平成22)年6月13日に無事に地球へと帰還し400点を達成した。
そして2010(平成22)年11月16日、カプセル内からイトカワ由来の微粒子を検出したと発表されたことでサンプル採取に成功していたことも判明、結果、全プロジェクトをほぼ完璧に達成し、500点満点を獲得したのである。
はやぶさが成し遂げた輝かしい記録と功績の一覧は以下の通り。
イオンエンジンは4基搭載されており、うち打ち上げで故障してしまった1基を除く3基を使用して飛行した。
イオンエンジンによる加速と、地球スイングバイを組み合わせて用いることは、構想・実施ともに世界で初めての技術実証であり、日本はこれに世界で初めて成功したのである。
イオンエンジン使用終了時点での状況は以下の通りであった。
イオン源Bと併用し、2010(平成22)年3月27日に第2期軌道制御を成功させ、連続運用を終了した。以降は軌道の微調整のみを行なう
中和器の劣化(寿命)による電圧上昇のため、2007(平成19)年4月以降運用休止していた
2005(平成17)年2月18日に、軌道に於いて最も太陽から遠ざかる遠日点を通過した。
太陽との距離は1.7天文単位で、電気推進ロケット(イオンエンジン)を搭載した宇宙機としては、世界で最も太陽から遠い場所に到達した。
当初は2005(平成17)年6月にイトカワに到着予定だったが、2003(平成15)年10月から11月に掛けて発生した太陽フレアにより、「はやぶさ」は大ダメージを受けてしまった。この時、太陽電池の発生電力が大幅に低下したため、到着を3ヶ月延ばし9月に変更された。
「はやぶさ」のイオンエンジンは、電力で推進剤を加速している。太陽から離れたり、トラブルで太陽電池の発電量が少なくなっても、それに合わせてエンジンの出力を調整したり、4つあるエンジンの稼働台数を減らしたりして、発電力とのバランスを取ることができる。
イオンエンジンは、宇宙のような過酷な環境でも、その状況に合わせた、柔軟な運転が可能という魅力がある。
着陸本番を前に、2005(平成17)年11月4日にリハーサルが行なわれた。まず上空30mに近付いたときに、着陸の目印に使う反射板付きのボール、次いで小型探査ロボット「ミネルバ」を投下する予定だった。
2005(平成17)年11月4日04:17(3日@845)に地球からの司令により、イトカワからの高度約3.5kmより降下を開始した。この時点で、3機中2機の姿勢制御リアクションホイールが故障した中での運用であった。
姿勢と降下中の高度・速度の制御は、高度約700m付近まで順調だったが、自律航法機能の航法誤差が許容値を超えたため、2005(平成17)年11月4日12:30(@187)に地球から上昇指令を送信、リハーサル試験を中止することになった。
スラスタ噴射による姿勢制御で横方向に余分な推力が加わり、相対位置がずれたことが原因であった。
なお、この時点で地球と「はやぶさ」との距離は3億km以上。地球と電波による交信は、往復40分以上掛かる。着陸をラジコンのように操作することは不可能であるため、「はやぶさ」は自分で調べ、考え、そして与えられた指令を実行しようとするのである。
2005(平成17)年11月19日から20日早朝にかけ、「はやぶさ」はミューゼス・シーへの着陸と、署名入りターゲットマーカを発射、サンプル採集を行なった。
2005(平成17)年11月20日05:46(19日@906)頃、署名入りターゲットマーカーの投下に成功、約88万人の名前が小惑星へと届けられた。破片採集についての成否は不明だが、約30分間着陸した。
しかし、朝6時頃、「はやぶさ」から送られてくる着陸中の情報が変化しなくなった。地球の管制室、「はやぶさ」を見守る多くの人に緊張が走った。
後のデータ分析により、2005(平成17)年11月20日06:10(19日@923)前に約10cm/sで着地(衝突)しており、二回バウンドして2005(平成17)年11月20日06:35(19日@940)頃から約30分に渡ってイトカワ表面に留まっていた。「はやぶさ」は、世界初の小惑星への軟着陸に成功していた。
2005(平成17)年11月20日06:58(19日@956)に地球からの指令で緊急離陸を行なうまでは安定に着陸を継続し、その後指令通り上昇していた。小惑星へ探査機を着陸させ、離陸させたことは世界初の快挙であり、「はやぶさ」は小惑星から離陸した、世界初の宇宙船となったのである。
2005(平成17)年11月末に各種トラブルに見舞われた「はやぶさ」は、各種制御システムの大半を失い、地上との通信系統も停止した。以降、その復旧に尽力された。
2005(平成17)年12月に入り、通信系統の立て直しが徐々に成功したが、イトカワの試料採取の確認情報が失われており、「はやぶさ」が試料を取ることができたのかどうかは分からないままとなった。
更にその後、再び姿勢制御用の推進剤が漏れ出し、「はやぶさ」は姿勢を崩して回転状態に陥ったまま、翌年2006(平成18)年1月23日まで地球との通信を絶つことになる。
地球では「はやぶさ」の復活を信じ、救出に向けての新たな計画を開始。
この時「はやぶさ」はイトカワから約550kmの距離にあり、地球からの距離は約2億9000万km。イトカワから地球方向へ約5km/h(12km/hBeat)で漂っていた。
機体存在の確認用ビーコン信号が受信されたのは、着陸ミッションから年を越しての2006(平成18)年1月23日。ようやく通信が復旧したが、「はやぶさ」は絶望的状態だった。機体の各所から燃料が漏出、影響で温度が下がり各種機材が停止、そして燃料自体も無くなっていた。太陽発電された電気を貯めるバッテリーも一部破損した。
唯一の救いは、イオンエンジンが無事で、触媒であるキセノンガスがまだ充分量残っていることだけだった。
まずは姿勢を復旧することが必要だったため、このキセノンガスで姿勢を整えるべく、運用チームは急遽、通信でプログラムを書き換えたのである。
2006(平成18)年1月23日にビーコン信号受信後、通称「1bit通信」で交信を開始。通信速度はアンテナの向きが重要で、高速通信可能なアンテナを地球へ向ける為の姿勢制御に力が注がれた。8bpsのローゲイン、32bpsのミドルゲイン、4000bpsのハイゲインと徐々に回復するが、回復作業は主にローとミドルで行なわれた。
次に、「はやぶさ」を地球に帰還させるため、イオンエンジンを真後ろに向ける必要があった。だが姿勢制御リアクションホイールは着陸ミッションの時点で既に3機中2機が故障、かろうじて動く1機はZ軸でしか使えない。
そこで本来とは用途は違うが、イオン推進用のキセノンガスを噴出させ、安定させることにした。元々そのような用途は想定されていなかったので、地上でプログラムを作り3億km彼方の「はやぶさ」に送信した。キセノンガスは多めに積まれていたため、これが功を奏した。
しかしキセノンガスも無尽蔵ではなく、地球帰還にも必要なので節約が必要。そこで姿勢制御には「太陽光圧」が使われた。日常では馴染みが無いが、太陽の光にも「押す力」がある。回転する「はやぶさ」が受ける太陽光も計算に入れた上で、壊れた本来の姿勢制御手段に代わり、3次元空間における姿勢制御に必要なXYZ軸への制御が行なわれた。
光圧に関しては、「はやぶさ」の表面反射面積のデータなどは無かったため、実地で実測しつつ行なわれた。これらの経験や実績も、今後多くの宇宙開発に貢献していくだろう。そしてはやぶさの後、宇宙ヨット「イカロス」によって本格的な実験が行なわれている。
試料採取の成否はこの時点では不明だが、イトカワ試料をカプセル中に格納し蓋を閉じるにはバッテリーの電力が必要だった。しかし「はやぶさ」はリチウムイオン電池にもダメージを受けていた。
11セルのうち4セルは完全放電に近い状態になっており、安易な充電は爆発の危険があった。7セルは正常だったが、正常なセルにだけ充分な電圧で充電を行ない、危険な4セルには電気を送らない、といった機能は存在しない。そこで、本来は過充電防止用のバイパス回路をわざと接続し、それを経由した微弱電圧での再充電が考えられた。
これはメーカーとともに地上実験が繰り返され、実際に「はやぶさ」にプログラムを送信して検証した結果、実際にこの方法で再充電が可能だと判明した。そして、無事にカプセルは閉じられたのである。
リチウムイオン電池は、今ではノートパソコンや携帯電話機などにも当たり前に使われているが、爆発事故なども起きているように運用がデリケートな電池である。
「はやぶさ」は、宇宙用に設計・製作されたリチウムイオン電池を搭載した、世界初の宇宙機である。今回のトラブルも、もちろん今後に活かされるだろう。
姿勢も安定してきて、太陽発電による電力も多く使えるようになった。そこで、機体内部に残っていると思われる、凍り付いた燃料や酸化剤を捨てる作業に移った。これは「ベーキング」と呼ばれる、機体を加熱してガスを排出する作業である。
このベーキングにより、新たな燃料や酸化剤ガスの噴出が生ずる危険性もある。最悪の場合には再び姿勢喪失、通信断絶もありうることから、慎重に作業が進められた。
そして危険な状態を脱した「はやぶさ」は、遂にイオンエンジンを再起動させ、地球に向かっての飛行を開始したのである。
「はやぶさ」はのイオンエンジンは、その稼働時間はもとより、対トラブル性、想定外の緊急運用への対応など、数々の素晴らしい功績を上げている。
復路の残りの軌道変換量は400m/s(346m/cBeat)を残すのみとなっていた(2007(平成19)年10月18日の安定飛行移行による停止現在)。
2007(平成19)年10月、復路第1期軌道変換を完了した。目的通りの軌道に入ったことが確認されたため、2007(平成19)年10月18日にイオンエンジン停止、10月24日にリアクションホイールを停止した。以降、当分はスピン安定モードに入り、太陽を指向する(発電量を最大にする)ため、太陽輻射圧を用いたスピン軸制御を実施。
2009(平成21)年2月4日に動力飛行を再開し徐々に加速、地球帰還へ向けた第2期軌道変換を実施。しかし4基中2基残ったイオンエンジンのうち、更に一つ(スラスタD)も故障(寿命切れ)した。1基のみでは地球帰還は難しく、絶望視もされたが、はやぶさはまだ倒れなかった。
JAXAは、故障した3台中、早期に運転を中止していたエンジン、スラスタA/Bに着目した。イオン源Aと中和器Bは故障しているが、中和器Aとイオン源Bは使用できる。そこで、正常に動く部品同士を電子回路で繋ぐことで互いの故障を補い、エンジン約1台分の推進力を出すことに成功させた。
このような回路自体、万一に備えたもので設計者の想定の範囲内だったとのことだが、それが功を奏した結果である。これらの経験や実績も、今後更に多くの宇宙開発に貢献していくだろう。
帰還当日、世界中が「はやぶさ」に釘付けになった。はやぶさの帰還は既に日本だけの話では収まらず、世紀の大イベントとなっていた。
世界中の天文家、天文台がはやぶさの方角へカメラや望遠鏡を向け、アメリカ航空宇宙局NASAに至ってはDC-8を飛ばして空中から撮影するという気合いの入りようであった。
NASAの撮影した映像はYouTubeにNASA Team Captures Hayabusa Spacecraft Reentryとして公開されているが、砕け散りながら火の玉となり輝く流れ星は、不死鳥はやぶさに相応しい「火の鳥」の姿であった。
はやぶさは地球に背を向けて地球に向かっていた。
最後に「はやぶさ」に地球の姿を見せてあげたいという科学者の計らいにより、はやぶさのカメラは地球に向けられた。
5年ぶりに起動したカメラで撮った6枚のラストショットが地球に送信され、そのうち最後の一枚に地球が写っていた。
内之浦から地平線の下に入ってしまったため写真データは途中で切れてしまっており、またCCDの撮像モードの制約からスミアが発生してしまっているが、はやぶさが最後に見た地球の姿にこれまでのドラマを重ね合わせ、その美しさ、切なさに涙するものが続出した。
打ち上げ当初、目標の小惑星には名がなかった。イトカワと名が付いたのは、打ち上げ後である。
そもそもイトカワ自体がサンプルリターンしたくなるほど科学的に重要というわけではなく、はやぶさの軌道に合う小惑星がたまたまこの小惑星であり、その小惑星にISASの要望で後からイトカワと命名されたわけである。
これによりはやぶさプロジェクトは、糸川博士の後輩たちが開発し、糸川博士の開発した戦闘機の名を与えられた探査機を、星になった糸川博士に見せに行くという、まことに壮大かつ夢とロマンのあるプロジェクトとなったのである。
しかもその師匠の顔面にビンタ(弾丸)を打ち込むという不敬極まりないオマケ付きである。
「はやぶさ」は数々の奇跡を起こしてきた。
しかしその奇跡は偶然や、神のなせる技の、いずれでもない。物作りをする人達が、あらゆる事態を想定した上で作ったことと、その情熱によるものであり、その結果が起こしたドラマが人々の感動を生んだ。奇跡は、努力してこそ起こるのである。
しかし「はやぶさ」という機械は、まるで命を吹き込まれたかのように見られるようになった。
実際に萌え系分野では、日本らしく、はやぶさを女の子に擬人化するような話が公式・非公式問わず多数発生している。
人気を博したのが、すこっち著のふりむきミッションまんが「ごほうび!」である。
地球に振り返る「最後のおつかい」を描いた作で、数万人の涙腺が崩壊した。
Webコミュニティーにおいて、はやぶさは高い人気を博した。
日本では例によって「はやぶさ擬人化」の絵が多数作られ、掲示板をはじめとして、pixivなどにも何枚か投稿されている。
その中でも「梅仁丹」作「おつかいできた」は大好評の作品となっている。
はやぶさまとめニュースに現われた梅仁丹氏本人によると、これは15分程度で描いた作品だったとする。
「おつかいできた」は当初作者不明で、「はやぶさ」運用室の壁に貼られたり、宇宙研の方が講演会などで紹介したりと大活躍をし、国際シンポジウムにて論文デビューも果たした。
その他、海外の資料にもアレンジ作品が見られる。
また「はやぶさ」の物語が、Ash BlindのSHOにより音楽化され、はやぶさの非公式なテーマ曲となった。曲名は「はやぶさ」である。
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