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第二次世界大戦のドイツの西方攻勢作戦において、フォン・ルントシュテットのA軍集団参謀長であったエーリヒ・フォン・マンシュタインが立てた計画のこと。
元々西方攻勢作戦で採用されるはずだった第一次黄色計画は、シュリーフェン・プランの焼き直しでしかなく、連合軍側でも既に対抗策を講じているはずだとマンシュタインは考えた。
そこで、踏破が不可能だと思われていたベルギー北部のアルデンヌの森を突破するという作戦計画を考えた。しかし、敵味方とも不可能だと思っていることを提案するのであるから、自分だけの考えでは不安を感じたマンシュタインは、戦車戦の第一人者ハインツ・グデーリアン大将に質問を投げかけたところ、「可能」との答えをもらい、これによりこの作戦計画の成功を確信したマンシュタインは、直属の上官であるルントシュテットを説得して、陸軍総司令部(OKH)に計画書を送ったが、陸軍総司令部はこれを容認しなかった。
しかし、この作戦計画はヴァーリモントからアルフレート・ヨードルを経て、上手くこの作戦計画はヒトラーの耳に入る事に成功した。しかし、ヒトラーもこの時は第一次黄色計画に傾いており、殆ど忘却の彼方に行なってしまっていた。ところが、メレヘン事件という不測の事態が襲ったとき、ヒトラーはこの計画を思い出し、この計画を採用することにした。
陸軍総司令官ブラウヒッチュと参謀総長ハルダーは自分たちの頭ごなしに決定されたこの作戦計画に不満を持ち、マンシュタインを新設の第38歩兵軍団長に左遷し、口を封じてしまった。ところが、マンシュタインの熱狂的な支持者であった大本営副官シュムント大佐がこの措置に憤慨し、ヒトラーとマンシュタインとの会見をお膳立てする。この会見後、ヒトラーはブラウヒッチュとハルダーにこの計画を強要し、一挙に実現へと向かっていったのである。
ところで、この作戦計画はマンシュタインが立案したものであり、ヒトラーはただそれに同意しただけであるにも関わらず、この作戦計画に基づいて行なわれた西方攻勢が大成功を収めると、ヒトラーは自分が立案し、皆は反対したが、唯一マンシュタインだけが同意してくれたというふうに立場を反対に振る舞い、自分は作戦立案の天才と思い込むようになり、以降の禍根となった。
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