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かつて朝鮮半島の三国時代に存在した古代国家の一つ。東支那半島(朝鮮半島)南西部、現在の韓国の西半分にあたる位置にあった。但し、現在の韓国は百済の流れを継承していない。
百済に住んでいた人が「百済人」かというと、実はそうでもない。単一民族国家ではなかったためである。
支那の歴史書には、百済国の人間は漢人、扶与族、倭人で構成されていると記されている。その後は、高句麗や新羅の人間も見られるとある。
高句麗も扶与族で、新羅は濊貊(わいばく)。どちらも満州あたりを出身とするツングース系と考えられている。
東支那半島の古代国家だった新羅(シルラ)人が攻め込んできたため、百済は終焉を迎えることになった。
元々新羅の濊貊は半島の新参者で、大陸北方から半島南東へと流れ込んだ。それが唐に事大して半島を乗っ取り、倭人や扶与が開拓、文明化した百済を簒奪した。半島の歴史から見ると、新羅は新入りの蛮族だった。
このとき、多くの百済国の人間は虐殺された。一部は日本へと亡命したが、これは元々の漢人、扶与族、倭人であった。
こうして日本へ移り住んだ百済国の人間は、弥生人、すなわち現在の日本人の祖先となった。百済の王族や文化は殆ど全てが日本に吸収合併されたことから、百済は日本そのものである、ということができる。
百済王族の家系も、日本の皇族と縁組した。794(延暦13)年、平安京を都とするという御詔勅を発した桓武天皇の母方が、この百済王族である。しかし、日本に来てから皇室に入るまでは10世もの長い年月があった。
桓武天皇の母・高野新笠は10代前に渡来し6代前に日本に帰化した百済系10世で、第25代百済王 武寧王の血筋である。一般には扶与族とされているが、朝鮮の古文書には「武寧王の父の東城王は日本(倭)からやって来た」なる記載があるとされている。
百済は660(斉明天皇6)年に滅亡し、男系9世目の娘が皇室に嫁ぎ、その子である桓武天皇が781(天応元)年に即位するまでには実に121年もの歳月が流れていた。百済国の人間は、このようにして日本に溶け込んでいったのである。
今の朝鮮は、百済を滅ぼした新羅の子孫が住む国である。
新羅以降の鮮人は、常に支那に自大し、国を潰してきた。百済を潰したのは支那の手先になった新羅であり、また朝鮮人が文化を誇る高麗を潰したのも支那のお先棒を担いだ李朝(李氏朝鮮)であった。つまり、百済を潰して成り立ったのが現在の朝鮮なのである。
日本には百済神社(百済王神社)や百済寺など百済の名が付く宗教施設があるが、これらは新羅とその子孫、つまり今の朝鮮人を呪い滅ぼすために百済人が作った宗教施設なのである。
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