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古代,首都とその周辺を指した言葉。現在の京都府南部、奈良県、大阪府、兵庫県南東部を指す。現在ではこの名称はあまり使われない。
支那では古くから天子の周辺地域を王畿(おうき)などと云い、日本ではこれをまね、646(大化2)年の大化改新で出された "改新之詔" (かいしんのみことのり)で、伊賀(三重県伊賀市付近)名墾(なばり)の横河、紀伊(和歌山県)の兄山(せのやま)、播磨(兵庫県西南部)赤石の櫛淵、近江(滋賀県)狹々波(ささなみ)の合坂山(おうさかやま)以内を畿内国と定めた。
701(大宝元)年施行の大宝令では、倭(やまと、後に大和、奈良県)、摂津(大阪府西部と兵庫県南東部)、河内(大阪府東部)、山背(後に山城、京都府南部)の4ヶ国を四畿内と定めたが、後に河内国より和泉国(大阪西部)が分立し、五畿内となった。
律令国家は畿内に対し優遇処置をとり、調は諸国の半分、庸は納めない規定で、中央官人も原則として畿内出身者に限られた。
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