李氏朝鮮が、その末期1897(明治30)年〜1910(明治43)年の間に用いていた国号。
建国以来、ずっと支那の属国だった朝鮮は、大日本帝国の日清戦争勝利に伴う下関条約により、清(大清帝国)からの独立を達成した。
日本に独立させてもらった朝鮮であったが、大日本帝国、大清帝国に囲まれていたことから自らも対等でありたいと考え、身の程もわきまえず大韓帝国を号し、そして改元し元号を光武とした。
帝国とはいっても、この国に皇室などなく、従来通りの李王室があっただけである。
帝国、皇帝の名は、形式上は時の明治天皇より下賜された称号に過ぎず、国際的に認められた称号ではなかった。
いわゆる西洋などの王・皇帝から出てきているものではなく、今までの王とは違う(支那の属国ではない)という、形式だけのもの。中身は伴っていない。
19世紀末から20世紀頭に掛けて、このような国が実在したのは事実である。
しかし、信じられない事に隣国に自ら請うて併合して貰った(朝鮮併合)のであるが、世界史的に見ても、恐らく空前絶後の事例と思われる。
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