ア | イ | ウ | エ | オ |
カ | キ | ク | ケ | コ |
サ | シ | ス | セ | ソ |
タ | チ | ツ | テ | ト |
ナ | ニ | ヌ | ネ | ノ |
ハ | ヒ | フ | ヘ | ホ |
マ | ミ | ム | メ | モ |
ヤ | ユ | ヨ | ||
ラ | リ | ル | レ | ロ |
ワ | ヰ | ヴ | ヱ | ヲ |
ン |
A | B | C | D | E |
F | G | H | I | J |
K | L | M | N | O |
P | Q | R | S | T |
U | V | W | X | Y |
Z | 数字 | 記号 |
ニュージーランドの航空会社。本社 オークランド。1940(昭和15)年4月設立。2レターコード NZ、3レターコード ANZ。
世界15ヶ国48都市(ニュージーランド国内では26都市、オーストラリア国内では56都市)に就航。日本路線は東京、大阪はそれぞれオークランドへの直行便とクライストチャーチの経由便とがありそれを合わせると1日1便の週7便ずつ、それと名古屋に直行便が週3便の合わせて5路線、計週17便が運航されている。従業員約9,200人(2000(平成12)年7月現在)。参加アライアンス スターアライアンス。マイレージサービス(FFP) エアポイント。
ニュージーランド航空の歴史は1940(昭和15)年4月前身のタスマン・エンパイア航空(TEAL)がニュージーランド、オーストラリア、イギリスの各国政府の共同出資によって設立されたことにはじまる。この時既にニュージーランド国内には1921(大正10)年設立のアエロ・トランスポート社、1934(昭和9)年設立のエア・トラベル社、ユニオン航空、クック航空などが存在していた。そのため、同社は活路を海外に求め、ニュージーランドとオーストラリア間における飛行艇での運航サービスによって営業を開始したのを皮切りに、国際線中心の路線展開を続けていった。1961(昭和36)年にはニュージーランド政府がオーストラリア政府の持ち株を取得。ニュージーランド政府が100%出資する会社となり、4年後の1965(昭和40)年には社名も現在のニュージーランド航空へと改めた。ところで、上で挙げた各社は1945(昭和20)年末に国営のニュージーランド・ナショナル航空として統合されていたが、この国際線主体のニュージーランド航空と国内線主体のニュージーランドナショナル航空という両国営航空会社は1978(昭和53)年4月に合併。新生ニュージーランド航空となったのである。1980(昭和55)年には日本(東京)に初就航。その後も1991(平成3)年に名古屋に、そして1994(平成6)年には関西空港の開港を機に路線を開設している。
1996(平成8)年にはサービスの向上をひとつの目的に掲げ「パシフィック・ウェイブ」プロジェクトを発表。これまでのエコノミークラスに代わり「パシフィッククラス」を設置した。これは今まではビジネスクラスでないと望めなかった、可動式のヘッドレストやフットレストなどをエコノミークラスに導入したものである。
1989(平成元)年には完全民営化され、また1996(平成8)年にアンセット・オーストラリア航空の株式の50%の株式を取得したのに続き、2000(平成12)年には100%の株式を取得。完全子会社化した。しかし、この選択は完全に裏目に出ることとなる。そもそもニュージーランド航空にはアンセットを維持するだけの資本が無かったのである。買収に資金をとられすぎたため、2001(平成13)年度上半期(2000(平成12)年7〜12月)決算は大幅減益となってしまった。さらに、もともと業績が悪化していたアンセットはニュージーランド航空が親会社となってからますます業績を悪化させ、2001(平成13)年9月に経営破綻してしまった。ニュージーランド航空自身もそれは他人事ではなく、おりからの911事件もあり、業績は危険なほどに悪化していた。これを受けて、ニュージーランド政府は2001(平成13)年10月4日、総額8億8,500万NZドル(約434億円)を出資し、政府の株式保有比率を83%に引き上げ再国営化することを決定した。これはあくまでも緊急的なもので、経営が安定した段階で政府の保有株式を再び売却するとされた。本格的な救済先には当初はそれまでニュージーランド航空の株式の25%を保有していたシンガポール航空が有力とされていたが、2002(平成14)年12月、ライバルが消滅したことで活気ずくカンタス・オーストラリア航空が22.5%の株式を取得することとなった。
コメントなどを投稿するフォームは、日本語対応時のみ表示されます