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浄土真宗の教えで、阿弥陀如来の本願を信じ、阿弥陀如来の力(他力)によってのみ極楽往生できる、というもの。浄土真宗では、この他力本願を救いとする。
浄土宗でも同様に他力の教えを強調するが、浄土宗の宗祖法然源空は南無阿弥陀仏という称名念仏をひたすらに行なうことを選択したのに対し、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は自力に頼ることを辞めたときに阿弥陀如来に称えさせられるという他力の念仏を選択、阿弥陀如来の本願を信じるという信心が重要なのだとした。
そして、自分に悟る力などないことを自覚し、ひたすらに阿弥陀如来にすがればよい、阿弥陀如来はそのような者を救ってくれる、とした。
このため浄土真宗では、阿弥陀如来に対する信心をおこせば、その時点で既に救われているとされる。衆生がなすべき修行は如来が全て代わって済ませてくれており、衆生は如来の大悲の救いを甘受できる。そのためには仏に感謝する念仏をただひたすらに唱えることが重要なのであり、それが「報恩感謝の行」なのであって、それ以外の余計な自分の行などは徹底的に否定される。
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