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1678年3月4日(延宝6年1月12日)、ヴェネツィアに生まれ、1741年7月28日(寛保元年6月16日)ウィーンに埋葬される。イタリアバロック期の作曲家、ヴァイオリン奏者。1703(元禄16)年に司祭として叙階された。司祭に就職した理由は、社会的活動を有利にするためであったと思われる。父譲りで髪の毛が赤いため、赤毛の司祭と呼ばれた。
司祭になった年に、ピエタ養育院のヴァイオリン教師の職につき、1716(享保元)年にはさらに合奏長の職につく。女子養育院の生徒たちは音楽の才能教育を受けており、その優れた演奏は18世紀ヴェネツィアの音楽の華となり、外国の訪問者の好奇と感嘆の的となったが、とくにヴィヴァルディの指揮したピエタ養育院のオーケストラは評判が高かった。
彼の中期までの作品の多くはピエタ養育院のための作品であり、"勝利のユディータ"は彼のオラトリオの代表作であるが、主な登場人物はすべて女声で歌われる。ピエタ養育院との関係はその後断続的に亡くなるまで続いた。
彼が国際的な名声を得たのは1711(正徳元)年に彼の最初の協奏曲集"調和の幻想"がアムステルダムで出版されて以来のことで、それ以後彼の器楽作品は次々とアムステルダムから出版された。
1725(享保10)年ごろヴィヴァルディの名を今日までとどめる協奏曲集"四季"が出版され、ヴィヴァルディは彼の名声の頂点に立った。
ヴィヴァルディは作曲とオルガンをレグレンツィに学び、一方、アルビノーニ、マルチェロの影響を受けて約40曲のオペラを残しているが、今日ではあまり知られていない。彼の作品の中心的分野は協奏曲であり、とくにソロコンチェルトの分野を確立したことで音楽史的に重要な立場にある。
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