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靖国神社を取り巻く、さまざまな政治問題のこと。
元々、支那共産党(支共)は靖国神社には興味が無かった。対日攻撃については、別の案があったからである。
しかし朝日新聞が炊き付け、日本攻撃に有効と判断した支共が尻馬に乗って騒ぐようになった。これが靖国問題の発端である。また朝鮮が騒ぐのは、支共の真似をしているだけで、深い理由は無い。
事実、支那・朝鮮は、1985(昭和60)年の中曽根首相参拝まで、靖国参拝を問題としていなかった。
そして支共が靖国問題を本格的に取り上げ始めたのは、1989(平成元)年の天安門事件発生以降である。人民の鬱憤を外(日本)に向ける「ガス抜き」の意味があった。
朝日新聞が火の無い所に放火するまで。
これ以降、支共政府は反日を更に強める。
支共政府からの猛抗議で、以降の参拝は断念する。
1975(昭和50)年8月15日に三木武夫首相が参拝する。しかし首相は朝日新聞などの攻撃の前に屈し、首相として初めて「私的参拝」と発言して憲法論議を起こした。以降、朝日新聞などサヨクが、「私的・公的」「玉串料支払」等を問題化させた。
1975(昭和50)年11月20日には、日本社会党(現在の民主党)が天皇陛下の行幸の「公私」に難癖を付けた。その翌日1975(昭和50)年11月21日、昭和天皇皇后両陛下は社会党の噛み付きを無視して靖国神社を行幸するが、結局憲法問題により天皇の参拝が不可能になり、結果としてこれが最後の行幸となった。
以降、春秋の例大祭には代わりに勅使(天皇の御名代)が参向しており、現在に至るまで一度も欠かしていない。
神社には国家のために散った方々が祀られている。彼らを徴兵などしたのは政府である以上、政府には彼らを弔う義務があり、もって総理大臣が正装で参拝すべき神社とされる。
神社なので、基本的には4月の春季例大祭と10月の秋季例大祭に参拝するのが一般的である。加えて、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」である8月15日に参拝すると更に良いとされる。
戦後、歴代総理の靖国神社参拝実績(14総理)は次のとおり。
強調されている日付は、支那や朝鮮からクレームが入った参拝を表わす。
このうち、8月15日に参拝した実績は次の9回、5総理である。
戦後、歴代総理31名の中で靖国神社参拝をしていない者は次の18名。任期を併記する。
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