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信は感情の働き、解は理性の働きのこと。涅槃経では「信あって解なければ無明を増長し、解あって信なければ邪見を増長する。信解円通してまさに行の本と為る」とある。
つまり、信仰や宗教というものは、ただやみくもに信じれば良いというものではなく、自分の信仰しようというものが、一体どういうものであるのかを知らなければならない、ということである。そうでなければどんな熱心な信仰でもいつかは崩れてしまうことになるし、意味も分からずに信じることは危険なことである。
さて、真に正しい信仰や宗教というものは、必ず理論的に説明ができるものであるし、そうでなくてはならない。こうして理論的に理解できることを解という。そしてその教えを理解するようになれば、解と共に自然に信が芽生えて来る。
こうして、理解を伴った信仰のことを信解という。
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