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1915(大正4)年5月7日、アイルランド南方海域において、ヴァルター・シュヴィーゲル艦長率いるU20がリパプールに向かっていたイギリス豪華客船ルシタニアを無警告で撃沈した事件。
戦時国際法では、敵国の非武装商船には警告を与え、乗員を船から退去させてから、また中立国の商船に関しては、敵国に軍事物資などを輸送していることを確認した場合にのみ、これも乗員を退去させてから、撃沈することが許されていた。
しかしそのためには潜水艦を浮上させねばならず、当然、危険も伴う。そのためドイツは、無警告での撃沈海域を設けていた。そのことはアメリカも分かっていたが、乗組員と乗客合計1,198名が犠牲となり、その中には120名のアメリカ人、それもその中の大半が婦女子であったことからアメリカ国民は激怒、アメリカ政府はドイツ政府に抗議した。この抗議を受けて、ドイツ政府はたとえイギリス船であっても客船に対する攻撃を禁止した。
この事件の結果、ドイツは通商破壊戦に消極的となり、一方アメリカは参戦を考え出した。
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