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相手のゴールに球を入れてその点数を争う競技。
サッカーを日本に持ち込んだのは、日本海軍の兵科将校を教育する海軍兵学校へイギリスから送り込まれた教官団の団長であったアーチボールド・ルシアス・ダグラス海軍少佐であった。
ダグラス少佐は、日本海軍の指導者を育成する教科課程として航海術や砲術などとともに体を鍛える教科としてサッカーを採り入れたが、指導を受けた日本海軍草創期の俊英たちもサッカーは英国人のやる蹴鞠だと抵抗なく受け入れたという。
後に昭和期に海軍兵学校に英語教官として赴任したセシル・ブロック(彼の出身はなんとラグビー発祥の地、ラグビー市である)によると、日常の体育は規則ばったものばかりであったため、生徒たちはラグビーやサッカーのように自由に競技が行なえるスポーツを好んだという。
要は好き勝手にできればよかったわけで、生徒たちのゲーム水準はかなり低く、ポジションプレーなどといった概念は無く、ただ球を蹴って走り回っていただけだという。
分隊間の競争でも闘争精神の方が基本的技術よりも優っており、集団でボールの後を追いかけて「元気でやるぞ」と聲高に叫びながらボールをゴールに入れようとするのだが、ゲームが終了する頃には皆打撲だらけだったという。
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