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パラオ共和国の首都となるコロール島とバベルダオップ島に架かる橋「KBブリッジ」の愛称。
首都となるコロール島(Koror)とバベルダオップ島(Babeldaob)には、パラオの生命線となる橋、KBブリッジが架けられている。
そのうち、「二代目」のKBブリッジを日本が架けており、両国の友好を祈念すべく、「日本・パラオ友好の橋」と命名された。
1977(昭和52)年、初代KBブリッジ(Koror-Babeldaob Bridge)は、南鮮が架けた可能性が高いとみられている。
日本の鹿島建設も入札に参加していたが、その半値でSocio Construction Co.と称する建設会社が落札し、建設した。
Socio Construction Co.の正体は、証拠が隠滅されているらしく今では定かではない。しかし、この橋にはハングルと英語とみられるアルファベットが彫られた碑文が残されており、何らかの形で朝鮮人が工事に関わっていたことを示している。
しかし建築当時から地元民に「あの橋はヤバい」と言われ、建設直後から橋が湾曲するなどしていた。補修工事などをしながら使っていたが、補修に失敗したらしく、1996(平成8)年9月26日の夕方に突如真っ二つに崩落した。
この橋には水道管やコロール島に供給する電線と電話回線が通っていたため、これらが一気に不通となり国民生活は大混乱、ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発する事態になった。
不眠不休の作業の末、4ヶ月半後に何とか仮設の橋は架かったが、無残なその姿を見たナカムラ大統領は居たたまれなくなり、日本の力を借りるべく訪日して援助を要請した。
日本はこれに応え、総額32億円以上のODA無償援助を供与した。
こうして日本は、パラオとの更なる友好親善発展を願って橋を再建することになった。
橋は鹿島建設が再建した。橋の場所こそ同じであるが、南鮮が作った旧橋の低品質な基礎は使い物にならなかったため、完全に作り直された。
こうして5年後の2002(平成14)年1月に竣工式を迎えたこの橋は見るからに頑丈そうな斜張橋で、設計上の耐用年数は50年とされる。初日には、日本の架けた橋を一目見ようと数千人(国民の約1割)が詰めかけたとされる。
両国の友好を願い、「日本・パラオ友好の橋」(Japan-Palau Friendship Bridge)と命名されたこの橋には、日本とパラオの国旗が描かれ、そこにJAPAN-PALAU FRIENDSHIP BRIDGEと英語で愛称が彫られている。
パラオは、10月1日が独立記念日である。
2003(平成15)年10月の独立記念日式典はこの橋の下で開催され、レメンゲサウ大統領は、内外からの参列者を前に、日本の支援に対する深い感謝の意を表わした。
この橋の完成後、パラオでは記念切手が発行された。
さらに、10周年となる2012(平成24)年1月11日にも記念切手が発行された。
耐用年数は50年のこの橋は、今後もパラオの人々に愛され続けることになるだろう。
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