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山形から新潟まで、宇津峠経由で作られた道路。この道路は現在の国道113号の元となった道路で、山形県の初代県令(知事)となった明治期の政治家、三島道庸(みしま みちつね)により作られた。まず1880(明治13)年6月に宇津峠から着工され、6年後の1886(明治19)年に開通した。
米沢周辺の小国新道については不明だが、JR米坂線の手ノ子駅の西、宇津川の北を走る道は旧国道113号であり、これが今も残るかつての小国新道である。
そして飯豊町(いいでまち)最西端である宇津峠を越えると、小国町(おぐにまち)である。現在の国道113号は新宇津トンネルで、米坂線に近いルートをほぼ直線に抜けることになるが、小国新道は峠路である。しかしかつては十三峠街道とも呼ばれた過酷な越後街道が車でも通れるようになったことは、大きな出来事だったと言えよう。この峠道は、消滅寸前だが今も辛うじて残っている。
小国町大字沼沢付近は、現在は遅越トンネルなどが通っているが、小国新道の頃には今も一部残る川や地形に沿って走る旧道を通っていた。羽前沼沢駅周辺も、現在は明沢トンネルなどが通っているが、これもまた同様である。
また小国町大字朝篠の朝篠トンネルも、開通前はJR米坂線のように北に迂回する旧道を通っていた。小国町大字綱木箱口の弁当沢トンネル開通前は大きく北に迂回する峠道であったが、現在は地図を見ても点線になっており、通行可能なのかどうかは不明。
かつては現在の小国駅前の市街地を通るルートだったが、現在の国道113号は少し南に距離を置いて走っている。そして赤芝峡は現在の国道113号では横根トンネルによって通行が容易になっているが、開通以前は山を迂回する旧道を通っていた。
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