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1060(康平3)年頃成立した回想日記。菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)著。
作者が13歳から40年にも及ぶ自分の人生を回想的に、年を追って綴った日記。父が上総介(かずきのすけ)の任を終え上京する旅に始まり、祐子(すけこ)内親王のもとへの宮仕えを経て、夫である橘俊道(たちばなのとしみち)との死別、ひたすら仏の夢を信じた晩年が描かれている。
冒頭で実際に育った上総の国にかえて虚構の舞台を設定し、自分を三人称で書くなど、物語的な書き方をしている。
女の一生を描こうとする姿勢は、私小説的な性格を持った「蜻蛉日記」の系列を引いていると言える。
あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出たる人、いかばかりかあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、宵居などに、姉・継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
東国に続く道の果てよりも、さらに東の国で生まれた人は、どんなにかひなびていただろうに、どういうきっかけで思い始めたことであろうか、世の中に物語というものがあるということを、どうやって見ようかと思いながら、何もすることがない昼間や、夜遅くまで起きているときなどに、姉や継母といった人たちが、その物語、あの物語、光源氏のありさまなどを、ところどころ語っているのを聞いてると、たいそう読みたいと思う気持ちがふくれあがって、思うままに、暗誦して語ろうとした。
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