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『平家物語』巻九・敦盛最期(あつもりさいご)の条を元にした物語の名。
一ノ谷の合戦で16歳の平敦盛が熊谷直実に討たれ、我が子と同い年の若者を殺してしまったことを悔いた直実が出家するまでを描いた物語で、室町時代に能『敦盛』(世阿弥元清・作)『生田敦盛』(金春禅鳳・作)として戯曲化され、更に幸若舞の演目になった。
この幸若舞『敦盛』を織田信長が桶狭間合戦の時に出陣するときに舞ったことから人口に膾炙した。『信長公記』では、この情景を次のように描く。「此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。『人間わずか五十年、下天の内をくらぶれば夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり、一度生を受け滅せぬ者のあるべきか』(以下略)」なお、敦盛の文句はもっと長いものであり、織田信長は一部のみを謡ったらしい。また、小説などでは文中のカナをカタカナにしたり、「下天」を「化転」などと書いたりするが、これが原本の記述である。
この信長の話以降、敦盛の舞は信長の人生を語る上で欠かせないものとして捉えられ、信長を描く時代劇・小説では常にこの場面が登場するようになった。出典も忘れられ、単に信長が舞った時に謡っていた文句と捉えている人もいるようである。
歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」の初期のもの(全国版など)ではゲームのバックエンディングにこの文句が登場し、悲壮感を演出していた。
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