東西線 (メトロ)
読み:とうざいせん
外語:Tozai Line
東京地下鉄
(東京メトロ)の路線の一つ。都市計画5号線。
副都心線
を除く都内全ての地下鉄と乗り換えができる地下鉄である。
目次
概要
情報
建設経緯
沿革
接続する路線
特徴
快速運転
深刻化する混雑
開業当時
対策
結論
概要
総
営業キロ
: 30.8km
軌間
: 1067mm軌道(JR在来線と同じ
狭軌
)
駅数: 23駅(起点、終点の駅を含む)
単線複線: 全線
複線
電化区間: 全線
電化
、
架空電車線方式
・
直流電化
1500V
閉塞方式
:
自動閉塞方式
動力方式: 電車
運転速度: 最高100km/h(240km/hBeat)
所要時間: 中野〜西船橋 ‐ 50分
ラインカラー
: スカイブルー(水色)
路線記号
: T
情報
区間は中野〜西船橋。
主な経由地は東陽町、
大手町
、飯田橋、高田馬場など。
建設経緯
通勤五方面作戦
の一環として、
中央線
の乗客を中野から、
総武線
の乗客を西船橋からそれぞれバイパスさせて都心に持ち込むことを狙って建設された。
当初の5号線建設計画(中野〜東陽町の本線と大手町〜下板橋の支線の2本立て構想)から、支線を6号線(現、
都営三田線
)として分離した上、東陽町から西船橋まで免許区間を延長したものが東西線である。
先に開業していた
日比谷線
が早くもパンク状態になってしまったこと、また
国鉄
との相互乗り入れを行なうことから、それまでの
地下鉄
とは大きく異なる規格で建設されることとなった。
その主な例として20m車体、1編成あたり最大車両数は10両、加速度3.3km/h/sなどがあり、その後の営団〜東京メトロでの地下鉄規格の標準となった。
沿革
1964(昭和39)年12月23日 ‐ 高田馬場〜九段下(4.8km)開通
1966(昭和41)年3月16日 ‐ 中野〜高田馬場(3.9km)、九段下〜竹橋(1.0km)開通
1966(昭和41)年4月28日 ‐ 国鉄中央緩行線との相互乗り入れ開始(乗り入れ先は荻窪まで)
1966(昭和41)年10月1日 ‐ 竹橋〜大手町間(1.0km)開通、乗り入れ先を三鷹まで延長
1967(昭和42)年9月14日 ‐ 大手町〜東陽町(5.1km)開通
1969(昭和44)年3月29日 ‐ 東陽町〜西船橋(15.0km)開通(全線開通)、快速運転開始
1972(昭和47)年4月8日 ‐ 国鉄総武線との相互乗り入れを開始(朝夕のみ、乗り入れ先は津田沼まで)
1979(昭和54)年10月1日 ‐ 西葛西駅開業
1981(昭和56)年3月27日 ‐ 南行徳駅開業
1996(平成8)年4月27日 ‐ 東葉高速鉄道との相互乗り入れ開始
2000(平成12)年1月22日 ‐ 妙典駅開業
2006(平成18)年11月20日 ‐
女性専用車
の設定が行なわれる
2007(平成19)年3月18日 ‐
PASMO
導入
2007(平成19)年3月21日 ‐ 保安装置が
WS-ATC
から新CS-ATCに変更。この日までに営団5000系電車引退。平日朝ラッシュの最も激しい時間帯においてB線方面の
快速列車
が削除される。
2013(平成25)年3月23日 ‐
交通系ICカード全国相互利用
開始
接続する路線
以下、(ラチ内)は
ラチ内乗り継ぎ
可能なことを示し、記述の無いものは全て
ラチ外乗り継ぎ
となるものを示す。
T-01 中野
JR中央線・総武線各駅停車
(ラチ内)
JR中央線快速
(ラチ内)
T-02 落合
T-03 高田馬場
JR山手線
西武新宿線
T-04 早稲田
T-05 神楽坂
T-06 飯田橋
JR中央線・総武線各駅停車
東京メトロ南北線
(N-10)
東京メトロ有楽町線
(Y-13)
都営大江戸線
(E-06)
T-07
九段下
東京メトロ半蔵門線
(Z-06)
都営新宿線
(S-05)
T-08 竹橋
T-09
大手町
東京メトロ千代田線
(C-11) (ラチ内)
東京メトロ半蔵門線(Z-08) (ラチ内)
東京メトロ丸ノ内線
(M-18) (ラチ外、ただし遠回りすればラチ内乗り換え可能)
都営三田線
(I-09)
T-10 日本橋
東京メトロ銀座線
(G-11) (ラチ内)
都営浅草線
(A-13)
T-11 茅場町
東京メトロ日比谷線
(H-12) (ラチ内)
T-12 門前仲町
都営大江戸線
(E-15)
T-13 木場
T-14 東陽町
T-15 南砂町
T-16 西葛西
T-17 葛西
T-18 浦安
T-19 南行徳
T-20 行徳
T-21 妙典
T-22 原木中山
T-23 西船橋
JR総武線
JR武蔵野線
東葉高速鉄道
(ラチ内)
京成電鉄・本線
(京成西船)
特徴
快速運転
地下鉄としては初の快速100km/h(240km/hBeat)運転が行なわれた。快速運転区間は東陽町〜西船橋である。
かつては東陽町〜西船橋間ノンストップのA快速、浦安停車のB快速、快速運転区間が浦安〜西船橋のC快速(B線方面のみ)があったが、現在は快速(旧B快速)、通勤快速(旧C快速、朝ラッシュのみ)と整理された。
2007(平成19)年3月まで、快速運転の案内に「浦安停車の快速西船橋行きです」とアナウンスされていたのもA快速とB快速の区別のためである。
深刻化する混雑
開業当時
開業当時、東陽町〜西船橋は未開発地域で、辺り一面に畑や蓮田が広がっていたが、東西線の開業後は急速に開発が進み、程なくして東西線は通勤時間帯に激しい混雑を起こすようになった。2005(平成17)年度の
混雑率
はB線木場→門前仲町間の198%で、この数値は大手私鉄の混雑率としては最も高い。
並行路線である都営
新宿線
や
京葉線
が開通していなければ、東西線東側区間は破綻していたと言っても過言ではない。
東葉高速鉄道との乗り入れが行なわれるようになり更に混雑が激しくなった上、沿線は未だにマンション等の建設が続いており、混雑は増えこそすれど減ることはありえないという状況が2007(平成19)年現在も続いている。
対策
もちろん、営団〜東京メトロも手を拱いている訳ではなく、可能な限りの対策を取り続けた。
混雑に対応すべく新駅の開業(西葛西、南行徳、妙典)
全編成の10両化
快速の多様化(現在は快速と通勤快速)
保安装置の更新
こういった対策はもちろんだが、それとは別に、
ワイドドア車
の導入、葛西での快速通過待ちの間乗客をカンヅメにする(苦情のためすぐに中止された)という珍妙な対策まで行なわれている。
結論
結局のところ、ラッシュ時の混雑対策はお手上げ状態であるらしく、2007(平成19)年3月のダイヤ改正では遂に朝ラッシュ混雑時の
快速列車
を通勤快速に格下げし、全ての列車の所要時間を完全に同じにすることで列車増発と混雑分散を図ることになった。
通勤快速が残っているのは妙典始発の各駅停車の混雑率との兼ね合いである。奇しくも同様に混雑の激しい
田園都市線
も、同時期に似たようなダイヤ改正を行なっている。
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