三田線
読み:みたせん
外語:Toei Mita-Line
東京都交通局
の路線(
都営地下鉄
)の一つ。都市計画6号線。
目次
情報
基本情報
沿革
接続する路線
建設経緯
計画
元々の計画
計画の変更
建設
袖に振られた東京都
嫁探し
営団と線路を共用
特徴
アナウンス
ホームゲート
起点
情報
基本情報
総延長: 26.5km
軌間
: 1067mm軌道(JR在来線と同じ
狭軌
)
駅数: 27駅(起点、終点の駅を含む。目黒〜白金高輪を含む)
単線複線: 全線
複線
電化区間: 全線
電化
、
架空電車線方式
・
直流電化
1500V
閉塞方式
:
車内信号閉塞方式
運転速度: 最大75km/h(180km/hBeat)
所要時間: 目黒〜西高島平 ‐ 51分
ラインカラー
: 青
路線記号
: I
沿革
1968(昭和43)年6月30日 ‐ 志村(現、高島平)〜巣鴨10.4km開通
1972(昭和47)年6月30日 ‐ 日比谷〜巣鴨7.3km開通
1973(昭和48)年11月27日 ‐ 三田〜日比谷3.3km開通
1976(昭和51)年5月6日 ‐ 高島平〜西高島平1.5km開通
1999(平成11)年12月3日 ‐ 保安装置を
T型ATS
から
CS-ATC
に変更。
ATO
運用開始
2000(平成12)年8月10日 ‐ 全駅に
ホームゲート
設置。以降
ワンマン
運転化が進められる
2000(平成12)年9月26日 ‐ 三田〜目黒4.0km開通。東急目黒線、東横線と相互乗り入れ開始
2007(平成19)年3月18日 ‐
PASMO
導入
2013(平成25)年3月23日 ‐
交通系ICカード全国相互利用
開始
接続する路線
以下、(ラチ内)は
ラチ内乗り継ぎ
可能なことを示し、記述の無いものは全て
ラチ外乗り継ぎ
となるものを示す。
なお、※を附したものは、十分乗り換え可能だが運賃上は乗り継ぎ扱いにならないもの。
I-01 目黒
東京メトロ南北線
(ラチ内、同一線、同一ホーム)
JR山手線
東急目黒線
(直通運転) (ラチ内、同一ホーム)
I-02 白金台
東京メトロ南北線 (ラチ内、同一線、同一ホーム)
I-03 白金高輪
東京メトロ南北線
(N-03) (ラチ内、同一ホーム)
I-04 三田
都営浅草線
(A-08) (ラチ内)
I-05 芝公園
I-06 御成門
I-07 内幸町
I-08 日比谷
東京メトロ日比谷線
(H-07)
東京メトロ千代田線
(C-09)
東京メトロ有楽町線
(有楽町)(Y-18)
JR山手線(有楽町)
JR京浜東北線
(有楽町)
I-09
大手町
東京メトロ千代田線(C-11)
東京メトロ半蔵門線
(Z-08)
東京メトロ丸ノ内線
(M-18)
東京メトロ東西線
(T-09)
I-10 神保町
都営新宿線
(S-06) (ラチ内)
東京メトロ半蔵門線(Z-07)
I-11 水道橋
JR中央線・総武線各駅停車
I-12 春日
都営大江戸線(E-07) (ラチ内)
東京メトロ丸ノ内線(後楽園)(M-22)
東京メトロ南北線(後楽園)(N-11)
I-13 白山
I-14 千石
I-15 巣鴨
JR山手線
I-16 西巣鴨
都電荒川線
(※新庚申塚)
I-17 新板橋
JR埼京線
(※板橋) (徒歩約10分)
I-18 板橋区役所前
I-19 板橋本町
I-20 本蓮沼
I-21 志村坂上
I-22 志村三丁目
I-23 蓮根
I-24 西台
I-25 高島平
I-26 新高島平
I-27 西高島平
建設経緯
計画
元々の計画
地下鉄5号線(現在の
東京メトロ東西線
)の支線として計画されていた大手町〜下板橋の路線を6号線として分離し、それを泉岳寺まで延長したのがもともとの計画である。
すなわち、相互乗り入れは決まっておらず、すでに建設されていた
浅草線
に乗り入れるために軌間も
標準軌
が採用される予定だった。
計画の変更
その後計画は変更され、また東京近郊に優良な住宅地を供給するために作られる高島平団地方面の路線延長を行なうことになった。
同時に
東武東上線
との相互乗り入れが答申に追加された。
東上線の下板橋と6号線の位置は近かったものの、接続路線建設のための土地がなかったため東武が難色を示した。そこで志村(現、高島平)で接続する事とし、大和町(現在の和光市駅)から志村までの路線は東武が建設することになった。
あわせて
東急
側は泉岳寺〜桐ヶ谷(現在は廃駅)の新線建設と
東急池上線
経由で
田園都市線
乗り入れになるという計画が示された。
建設
これら乗り入れのために、軌間は急遽1067mm軌道に変更された。
また、車庫や検査工場が浅草線と共有できなくなったため、志村検車場が作られることにもなった。
そのため、建設は高島平よりから始められ、1968(昭和43)年に志村〜巣鴨の10.4kmが開通することになる。
袖に振られた東京都
ところが、相互乗り入れ先となるはずだった東武や東急は、別ルートによる都心乗り入れに傾斜した。
これについては「三田線に乗り入れると遠回り過ぎてバイパス効果が期待できない」などと言った話もあるが、当時は東武が池袋に東武百貨店を建設中であり、三田線と直通すると百貨店の客が銀座や日本橋といった高級百貨店に逃げるという思惑もあったと言われている。
これに関して、軌間の変更を強いられた東京都交通局は激怒したが、もはや後の祭りであり、仕方がなく相互乗り入れ計画時に決まった規格をそのまま利用して三田線(と高島平団地)の建設は続けられることになる。
三田線の保安装置が
CS-ATC
化される前に使われていた
T型ATS
や、東京都交通局6000形電車の進行方向により警笛の音色が違うといった特徴は、東武の意向に沿った規格だった。
このため、高島平団地の計画のうち、高島平〜西高島平の鉄道が建設できなくなってしまう事態となり、後に東京都は東武から免許を譲り受けてこの区間を建設することになった。
嫁探し
東武、東急との乗り入れ協定解消後、都交通局は三田線の相互乗り入れ先を探し続けていたが、さまざまな計画が生まれては消えていった。
最終的には1985(昭和60)年に三田〜清正公前(現、白金高輪)〜目黒の延伸と東急目蒲線(現、
目黒線
)と東横線への乗り入れが決定される。
営団と線路を共用
目黒への延伸に当たっては、既に
南北線
が目黒を目指すことが決まっており、三田線との兼ね合いをどうするかが問題になった。
当初は目黒〜三田と、目黒〜麻布十番が完全別線になることも考えられたが、地下鉄を通せる道路は限られていたこともあり、白金高輪で南北線と合流し、そこから目黒まで線路を共有することとなった。
白金高輪〜目黒は
東京地下鉄
の所有とし、この区間では都交通局は
第二種鉄道事業者
となることが定められた。
特徴
アナウンス
目黒〜白金高輪間では、南北線方面の電車と三田線方面の電車とでアナウンスが違う。
そのため、浦和美園方面の電車に乗っても白金高輪で確実に接続できるにも関らず、次の電車を待ってしまうという人もいるようだ。
ホームゲート
営業運転を行ないながらホームゲートを設置する先駆けとなった路線であり、ホームゲート設置後しばらくの間は他事業者からの問い合わせが絶えなかったという。
ホームゲート設置後、目立った転落事故は激減し各方面から注目された。
しかし、自殺志願の人に対してはさすがにお手上げらしく、ホームゲートを乗り越えて自殺した猛者が一人、志村坂上〜志村三丁目にあるトンネル出入り口に飛び降りて自殺した人も一人登場した。いずれも運転再開に1時間以上掛かっている。
起点
当初、起点駅は泉岳寺とされていた(実質的な起点駅は三田)。
各方面の提出書類にも泉岳寺起点のものが存在したが、目黒延伸後の起点駅は目黒となっている。
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