AMD |
辞書:電算用語の基礎知識 技術機器製造団体編 (TYORGM) |
読み:エイエムディー |
外語:AMD: Advanced Micro Devices, Inc. |
品詞:会社名 |
米カリフォルニア州サニーベールに本社を置く大手IC専業メーカー。
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企業情報 |
創立1969(昭和44)年5月1日。
Intel互換マイクロプロセッサーメーカーとして今は亡きCyrix(現在はVIA)と共に有名だった。
同じ反Intelだった故Cyrixとは違い、AMDは自分の工場を持っている。
特徴 |
主要な製品 |
主要な技術 |
沿革 |
黎明期 |
かつて、i486ソケット互換の5x86が登場時、133MHzでPentium 75MHz相当と言われ、クロックアップして使われ、好評を得た。
その後のK5では性能も今ひとつでタイミングを逃したが、K6は開発テンポも性能も比較的良好だと言われた。
競争時代 |
3DNow!テクノロジーによる拡張MMX機能を搭載したK6-2では、Intelのものより4倍もの性能を実現している。
そしてAthlonでついに純正Intel製品の性能を超え、本格的な競争が始まった。そして、Intelよりも早く、K75により動作周波数1GHzを実現させている。
超Intel時代 |
32ビットマイクロプロセッサーも熟成を迎え時代は64ビットへの移行期に差し掛かる頃、Intelはx86全否定のItaniumで急激な変化を狙う中、AMDは互換メーカーとして穏当な道を選び、AMD64を作り64ビットマイクロプロセッサーのAthlon 64とOpteronをリリースした。
両者の争いはAMD側に軍配が上がる。Intelは、Itaniumも、爆速爆熱のPentium 4も共に失敗し計画は大きく崩れ、もってIntelはAMDが引いた64ビットのレールの上を走らざるを得ないという屈辱的な状況となる。この頃が、AMDが最も輝いていた瞬間であると共に、AMDの凋落の始まりでもあった。
CPU性能競争の敗北 |
従来は、Intelは独自路線を走っていたため、AMDはやりやすい位置で勝負をしていくことができた。しかし現在は、AMD自身が作った同じ土俵の上で同じようなアーキテクチャーで勝負せざるを得なくなった。
そうなると、製造技術でも進んでいるIntelが必然的に有利となる。対するAMDは、その性能差に対して価格で勝負せざるを得なくなり、AMDの収益率は上がらず、増えるばかりの莫大な研究開発費は大きな重荷となっていく。資金不足で、製造プロセスもIntelを追い越すどころか、追いつくこともままならず、結果として性能差が縮まることはないという悪循環を生むことになる。
ATI合併 |
2006(平成18)年7月24日、AMDは、グラフィックプロセッサーメーカーのATI Technologiesを買収する旨、発表した。
CPUだけで勝負していてはジリ貧確実であるため、この状況を打破するためにはIntelとは違う路線に活路を見いだす以外にない。そこで、そこそこの性能のCPUコアに、爆速のGPUコアを融合したプロセッサー「APU」という方向に全てを賭けることになった。当面の資金不足解消のため、AMDはオイルマネーに助けを請うて今に至っている。
現在のAMDは産みの苦しみの真っ最中で、Intelと争いつつ、さらにARM勢にも対抗する必要があることから道は険しいものの、今後のAMDの製品に多くの人々が期待を寄せている。
AMDのAPUを使うとコンパクトなPCを作ることができるので、Windowsタブレット端末などに使われているほかに、EPSONのスタイリッシュでコンパクトなデスクトップパソコンEndeavor NP30Sなどにも使われている。
リンク |
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