日比谷線
読み:ひびやせん
外語:Hibiya Line

 東京地下鉄(東京メトロ)の路線の一つ。都市計画2号線。
目次

概要

情報

運用
 区間は中目黒〜北千住。
 主要経由地は銀座、秋葉原など。

沿革

接続する路線
 以下、(ラチ内)はラチ内乗り継ぎ可能なことを示し、記述の無いものは全てラチ外乗り継ぎとなるものを示す。
 なお、※を附したものは、十分乗り換え可能だが運賃上は乗り継ぎ扱いにならないもの。

特徴

乗り入れ
 北千住から東武伊勢崎線相互乗り入れをしており、中目黒から東急東横線とも相互乗り入れをしていた。
 乗り入れ協議時、東武は20m車の導入を主張したのに対し、東急は当時18m車が大半だったことから、結局日比谷線自体も18m車の規格で造られることになった。

その後
 18m車では、東武側の混雑はとても捌ききれず、朝ラッシュ時間帯の北千住駅日比谷線ホームは非常に危険な状態となった。
 また東武も東急も、時代の流れと共に日比谷線乗り入れ車以外は全て20m車となったため、今では日比谷線乗り入れ自体がダイヤ上や車両運用上の「制約」にまでなった。
 このため、東急は目黒経由での南北線への乗り入れに走り、東武は押上経由での半蔵門線への乗り入れに走る結果となった。

事件事故

脱線事故
 2000(平成12)年3月8日09:00(@041)頃、中目黒駅付近で脱線事故が発生し対向列車に衝突、乗客5人が死亡、60人以上が重軽傷を負うという大惨事が発生した。
 中目黒駅に近づいた下り列車は減速しつつ、やや上り坂で急な左カーブを曲がる。この時、8両編成の最後の車両が脱線、そのまま引きずられて走行、対向してきた上り列車に衝突してしまった。しかし、現場には転轍器(ポイント)もなく脱線するような要素が無かった。ただ、当時は護輪軌条がなく、脱線を防ぐことが出来なかったのである。この事故を契機として半径200m以下のカーブに護輪軌条を取り付けるよう運輸省(当時)から通達が出されることになった。
 結局、この日は一日不通となったが、現場のレール約70mに護輪軌条が取り付けられ、翌日2000(平成12)年3月9日、始発前に試験車両が走った後、始発から運転が再開された。
 原因究明は難航を極めたが、コンピューターによるシミュレーションなどで脱線のメカニズムの解明を進めた結果、車輪にかかる荷重、輪重(りんじゅう)の不均衡を柱とする複数の要因が同時に作用したため、カーブで車輪が浮き上がり脱線に至ったものと判明した。この事件以降、各鉄道事業者は輪重管理を厳格化することになった。
 営団地下鉄の当時の寺嶋潔総裁は2000(平成12)年6月27日、事故原因調査の中間報告がまとまったことを受け二階俊博運輸相に辞表を提出し受理され、引責辞任した。
 また事故後、事故車両を製造した住友金属工業製の車両の台車から次々と亀裂が見つかるなどしている。車両側にも何らかの問題があったのだろう。

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