日比谷線
読み:ひびやせん
外語:Hibiya Line
東京地下鉄
(東京メトロ)の路線の一つ。都市計画2号線。
目次
概要
情報
運用
沿革
接続する路線
特徴
乗り入れ
その後
事件事故
脱線事故
概要
総延長: 20.3km
軌間
: 1067mm軌道(JR在来線と同じ
狭軌
)
駅数: 21駅(起点、終点の駅を含む)
単線複線: 全線
複線
電化区間: 全線
電化
、
架空電車線方式
・
直流電化
1500V
閉塞方式
: (未確認)
保安装置: 新
CS-ATC
運転速度: 最高80km/h(192km/hBeat)
所要時間: 43分
ラインカラー
: シルバー(銀)
路線記号
: H
情報
運用
区間は中目黒〜北千住。
主要経由地は銀座、秋葉原など。
沿革
1961(昭和36)年3月28日 ‐ 南千住〜仲御徒町(3.7km)開業
1962(昭和37)年5月31日 ‐ 北千住〜南千住(2.1km)開業
1962(昭和37)年5月31日 ‐ 仲御徒町〜人形町(2.5km)開業
1963(昭和38)年2月28日 ‐ 人形町〜東銀座(3.0km)開業
1964(昭和39)年3月25日 ‐ 霞ケ関〜恵比寿(6.0km)開業
1964(昭和39)年7月22日 ‐ 恵比寿〜中目黒(1.0km)開業
1964(昭和39)年8月29日 ‐ 東銀座〜霞ヶ関(2.0km)開業、全線開通
1995(平成7)年3月20日 ‐ 地下鉄サリン事件発生
2000(平成12)年3月8日 ‐ 中目黒駅付近で脱線事故発生、5人死亡
2004(平成16)年4月1日 ‐
帝都高速度交通営団
が民営化、
東京地下鉄
に
2007(平成19)年3月18日 ‐
PASMO
導入
2013(平成25)年3月15日 ‐ この日をもって、東横線との直通運転終了
2013(平成25)年3月23日 ‐
交通系ICカード全国相互利用
開始
接続する路線
以下、(ラチ内)は
ラチ内乗り継ぎ
可能なことを示し、記述の無いものは全て
ラチ外乗り継ぎ
となるものを示す。
なお、※を附したものは、十分乗り換え可能だが運賃上は乗り継ぎ扱いにならないもの。
H-01 中目黒
東急東横線
(TY03) (ラチ内、同一ホーム)
H-02 恵比寿
JR山手線
JR埼京線
JR湘南新宿ライン
H-03 広尾
H-04 六本木
都営大江戸線
(E-23)
H-05 神谷町
H-06 霞ヶ関
東京メトロ丸ノ内線
(M-15) (ラチ内)
東京メトロ千代田線
(C-08) (ラチ内)
H-07 日比谷
東京メトロ千代田線(C-09) (ラチ内)
都営三田線
(I-08)
東京メトロ有楽町線
(有楽町)(Y-18)
JR山手線(有楽町)
JR京浜東北線
(有楽町)
H-08 銀座
東京メトロ銀座線
(G-09)
東京メトロ丸ノ内線(M-16)
東京メトロ有楽町線(※銀座一丁目)(Y-19)
H-09 東銀座
都営浅草線
(A-11)
H-10 築地
東京メトロ有楽町線(※新富町)(Y-20)
H-11 八丁堀
JR京葉線
H-12 茅場町
東京メトロ東西線
(T-11) (ラチ内)
都営浅草線
(※日本橋)(A-13)
H-13 人形町
都営浅草線(A-14)
東京メトロ半蔵門線
(※水天宮前)(Z-10)
H-14 小伝馬町
H-15 秋葉原
JR山手線
JR京浜東北線
JR中央線・総武線各駅停車
つくばエクスプレス
H-16 仲御徒町
東京メトロ銀座線(上野広小路)(G-15)
都営大江戸線
(上野御徒町)(E-09)
JR山手線(御徒町)
JR京浜東北線(御徒町)
H-17 上野
東京メトロ銀座線(G-16)
JR京浜東北線
JR山手線
JR常磐線
JR東北線
JR高崎線
新幹線
東北新幹線
山形新幹線
秋田新幹線
上越新幹線
長野新幹線
京成電鉄
・
京成本線
(京成上野)
H-18 入谷
H-19 三ノ輪
都電荒川線
(※三ノ輪橋) (徒歩約10分)
H-20 南千住
JR常磐線
つくばエクスプレス
H-21 北千住 (5〜7番線(3階))
東武伊勢崎線
(TS-09) (直通運転) (ラチ内、同一ホーム)
東京メトロ千代田線(C-18) (ラチ内)
JR常磐線 (ラチ内)
つくばエクスプレス
特徴
乗り入れ
北千住から
東武伊勢崎線
と
相互乗り入れ
をしており、中目黒から
東急東横線
とも相互乗り入れをしていた。
乗り入れ協議時、東武は20m車の導入を主張したのに対し、東急は当時18m車が大半だったことから、結局日比谷線自体も18m車の規格で造られることになった。
その後
18m車では、東武側の混雑はとても捌ききれず、朝ラッシュ時間帯の北千住駅日比谷線ホームは非常に危険な状態となった。
また東武も東急も、時代の流れと共に日比谷線乗り入れ車以外は全て20m車となったため、今では日比谷線乗り入れ自体がダイヤ上や車両運用上の「制約」にまでなった。
このため、東急は目黒経由での
南北線
への乗り入れに走り、東武は
押上
経由での
半蔵門線
への乗り入れに走る結果となった。
事件事故
脱線事故
2000(平成12)年3月8日09:00(@041)頃、中目黒駅付近で脱線事故が発生し対向列車に衝突、乗客5人が死亡、60人以上が重軽傷を負うという大惨事が発生した。
中目黒駅に近づいた下り列車は減速しつつ、やや上り坂で急な左カーブを曲がる。この時、8両編成の最後の車両が脱線、そのまま引きずられて走行、対向してきた上り列車に衝突してしまった。しかし、現場には
転轍器
(ポイント)もなく脱線するような要素が無かった。ただ、当時は
護輪軌条
がなく、脱線を防ぐことが出来なかったのである。この事故を契機として半径200m以下のカーブに護輪軌条を取り付けるよう運輸省(当時)から通達が出されることになった。
結局、この日は一日不通となったが、現場のレール約70mに護輪軌条が取り付けられ、翌日2000(平成12)年3月9日、始発前に試験車両が走った後、始発から運転が再開された。
原因究明は難航を極めたが、コンピューターによるシミュレーションなどで脱線のメカニズムの解明を進めた結果、車輪にかかる荷重、輪重(りんじゅう)の不均衡を柱とする複数の要因が同時に作用したため、カーブで車輪が浮き上がり脱線に至ったものと判明した。この事件以降、各鉄道事業者は輪重管理を厳格化することになった。
営団地下鉄の当時の寺嶋潔総裁は2000(平成12)年6月27日、事故原因調査の中間報告がまとまったことを受け二階俊博運輸相に辞表を提出し受理され、
引責辞任
した。
また事故後、事故車両を製造した住友金属工業製の車両の台車から次々と亀裂が見つかるなどしている。車両側にも何らかの問題があったのだろう。
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