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昭和天皇 | (父)大正天皇 | (祖父)明治天皇 | (曾祖父)孝明天皇 |
(曾祖母)中山慶子 | |||
(祖母)柳原愛子 | (曾祖父)柳原光愛 | ||
(曾祖母)歌野 | |||
(母)九条節子(貞明皇后) | (祖父)九条道孝 | (曾祖父)九条尚忠 | |
(曾祖母)唐橋姪子 | |||
(祖母)野間幾子 | (曾祖父) | ||
(曾祖母) |
山山の色はあらたにみゆれども わがまつりごといかにかあるらむ国連脱退という波乱の年となった1933(昭和8)年の歌会始の御製。
あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を(大意)朕は、朝凪の海のように静かで波の立たない世になるように、天地(あめつち)の神に祈っています。
爆撃にたふれゆく民のうへを思ひ戦止めけり身はいかならむとも(大意)爆撃で亡くなった民を身上を思い、我が身がどうなろううとも戦争を止めた。
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて(大意)死んでいった民を思って、我が身がどうなろうとも戦争を止めた。
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり(大意)国民を守るために、どんな困難な道を進もうとも戦争を止めた。
戦をとどめえざりしくちをしさななそぢになる今もなほおもふサンフランシスコ講和条約発効により、独立が回復されたことを喜ばれた天皇は、次のような歌を詠んだ。
風さゆる み冬は過ぎて 待ちに待ちし 八重桜咲く 春となりけり
思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果たさむつとめありしを沖縄行幸は「つとめ」であると御製で詠われた。