香淳皇后
読み:こうじゅんこうごう
外語:Empress Ko^jun
昭和天皇
の
皇后
。
目次
資料
神
情報
御略歴
皇統
父神
配偶者
子
系譜
陵墓・霊廟
追号
資料
神
生没: 1903(明治36)年3月6日〜2000(平成12)年6月16日
情報
お名前 ‐ 良子(ながこ)
お続柄 ‐ 久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王第一女子
誕生日 ‐ 1903(明治36)年3月6日
お印 ‐ 桃
御略歴
1903(明治36)年3月6日: 御誕生
1924(大正13)年1月26日: 結婚
1989(昭和64)年1月7日: 昭和天皇崩御に伴い
皇太后
となられる
2000(平成12)年6月14日夜半:
呼吸不全
2000(平成12)年6月16日16:46(@365): 吹上大宮御所において
老衰
のため崩御(御歳97)あらせられる
2000(平成12)年7月10日: 香淳皇后と追号
2000(平成12)年7月25日: 斂葬の儀
皇統
父神
父神は久邇宮邦彦王、母神は島津俔子。島津俔子は、薩摩藩十二代藩主 島津忠義の娘である。
配偶者
昭和天皇
の
皇后
。
子
皇子は七柱おられる。
照宮成子内親王
久宮祐子内親王
孝宮和子内親王
順宮厚子内親王
継宮明仁親王
(
今上
)
義宮正仁親王(常陸宮)
清宮貴子内親王
このうち
明仁
親王が後に天皇に
即位
する。
系譜
香淳皇后
(父)久邇宮邦彦王
(祖父)久邇宮朝彦親王
(曾祖父)伏見宮邦家親王
(曾祖母)鳥居小路信子
(祖母)泉萬喜子
(曾祖父)泉亭俊益
(曾祖母)
(母)島津俔子
(祖父)島津忠義
(曾祖父)島津久光
(曾祖母)島津千百子
(祖母)山崎寿満子(側室)
(曾祖父)
(曾祖母)
陵墓・霊廟
陵墓は武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)。
昭和天皇の陵墓である武蔵野陵の近くに作られた。
追号
崩御あらせられた後の2000(平成12)年7月10日、香淳皇后と追号された。
香淳は、上代の漢詩集「懐風藻」より、お印と号の「桃」より、安倍朝臣広庭(あべのあそんひろにわ)の詩「春日侍宴」より「花舒桃苑
香
、草秀蘭筵新」、および山前王(やまさきおう)の詩「侍宴」より「四海既無為、九域正清
淳
」を典拠とした。
「懐風藻」は日本に現存する最古の漢詩集であるが、このように和書を典拠とする追号は、香淳皇后が初となった。
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