太陰太陽暦
読み:たいいん-たいようれき
外語:lunisolar calendar

 の満ち欠けの1朔望月(29.530589日)を基準とする太陰暦に、地球太陽公転する1太陽年の周期(365.24219日)の都合を兼ね合わせた。日本では「旧暦」と呼ばれる。
目次

概要
 一年間は12ヶ月とし、大の月(30日)と小の月(29日)を置く。
 そして太陽の1回帰年とバランスを取るため、19年に7回、つまり2〜3年に1回の「閏月」を作り、調節する(19年7閏法)。
 閏月というのはあくまで月の満ちかけを基準としたところから生まれたものであり、これにより一年の日数が大変動するという特徴を持つ。閏月の無い年(平年)は1年が353〜355日、閏年は384〜385日にもなる。

特徴

朔と晦
 旧暦では、月が新月になる瞬間を朔(さく)といい、朔の時刻をふくむ日を朔日(ついたち)という。
 1朔望月が29.530589日であるため、朔日から次の朔日までのは大の月で30日、小の月で29日ある。
 朔日の前日を晦(つごもり) という。晦は29日の月もあるので、「みそか」を「三十日」と表現することは、本来は正しくない。同様に、朔とは限らない新暦の1日を「ついたち」と読むことは、多くの場合は正しくない。正確には「いちにち」と読むべきなのである。

閏月
 閏月を入れるルールは、「二十四節気」の発明に絡んでくる。
 まず冬至を求め、それを基準として1太陽年を24等分(約15日間おき)する。それらを順番に、次のように命名する。
  1. 冬至
  2. 小寒
  3. 大寒
  4. 立春
  5. 雨水
  6. 啓蟄
  7. 春分
  8. 清明
  9. 穀雨
  10. 立夏
  11. 小満
  12. 芒種
  13. 夏至
  14. 小暑
  15. 大暑
  16. 立秋
  17. 処暑
  18. 白露
  19. 秋分
  20. 寒露
  21. 霜降
  22. 立冬
  23. 小雪
  24. 大雪
 この奇数番を中(ちゅう)、偶数番を節(せつ)と呼び、総称して二十四節気という。
 月の名前は中を基準として決められている(例えば、雨水のある月が正月)。
 太陰暦と太陽暦のずれにより、2〜3年に1回、中のない月が出てくる。そこで、この中のない月に閏月を置き、その年を13ヶ月とすることにより、季節のずれが補正される。例えばある年の五月(皐月)の翌月に中が無い場合、その月は水無月ではなく「閏五月」となり、その次の月が六月(水無月)となる。

日本の暦
 太陰太陽暦は6世紀頃、支那の南北朝時代の暦「元嘉暦」が百済を通じ、飛鳥時代の日本へと伝えられたとしている。日本書紀によると554(欽明天皇15)年とされている。
 以降、幾度か支那の暦を輸入し改暦しながら、最終的には宣明暦への改暦後800年以上使われてきたが、17世紀頃には実際の暦と2日程度のずれがあることが分かっていた。そこで幕府は、日本独自の太陰太陽暦を導入し改暦することでずれを調整した。以降、支那の影響を受けながらも、独自の太陰太陽暦を発展させていくこととなる。
 以降、日本書紀などの文献による、日本の改暦の歴史である。
 天保壬寅元暦(天保暦)は、太陰太陽暦としては最も完成されたものである。
 天文学者の平山清次は、天保暦の太陽年は365.24223日、朔望月は29.530588日であると求めた。なお、平均太陽年は365.24219日、平均朔望月は29.530589日であるので、現在使われている太陽暦グレゴリオ暦の太陽年の365.2425日よりも誤差が少ないことが計算から求められる。
 天保暦は明治期まで利用されたが、「明治5年12月3日を明治6年1月1日とする」と明治政府が太陽暦(グレゴリオ暦)を正式導入したことで太陰太陽暦は法的には廃止された(ちなみに明治5年は1872年、明治6年は1873年)。
 この日付からも分かるように、旧暦の年の瀬は新暦では年が明けているということになるので、歴史書などの元号を読む際には注意が必要である。

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