草薙剣
読み:くさなぎのつるぎ
外語:Kusanagi sword

 三種の神器の一つで、剣。
目次

概要
 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも呼ばれている。
 また武士道精神においては、日本人の三つの精神のうちの勇気を表わすとされる。

特徴

神話
 かつて高天原から追放され出雲の地へやってきた須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時、その尾から出てきたとされる。
 日本書紀によると、大蛇の上には常に雲が覆っていたことから、須佐之男命はこれを天叢雲剣と名付けた。時は流れ日本神話の英雄の日本武尊(ヤマトタケル)の時に、この剣で草を薙ぎ命が助かったことから、日本武尊はこの剣の名を「草薙剣」と改めたとされる。

所在
 三種の神器は天皇の位を示すものなので、本来は宮廷に置かれるべきであるが、実際に宮中にある本物は八尺瓊勾玉だけである。
 現在、宮廷に置かれた草薙剣は複製品であり、本物は熱田神宮(あつたじんぐう)の御神体となっている(補足後述)。

所在と事件

草薙剣盗難事件
 日本書紀によると、668(天智天皇7)年、草薙剣が新羅人(現在の朝鮮人に繋がる民族)により盗まれるという事件があったとされる。
 剣は無事に戻り、いったんは皇居に置かれたが、686(朱鳥元)年に第40代天武天皇が病に倒れると、これが剣の祟りとされ、再び熱田神宮に戻された。熱田神宮の記録によれば、戻されて以降、再び御神体が動座せぬよう、朝鮮人が窃盗のために侵入した清雪門は閉ざされたとする故事がある。

熱田神宮
 日本書紀など神話の記述が正しければ、熱田神宮の奥深くに、御神体として収められている。
 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)の神職 玉木正英の著「玉籤集」の裏書に、草薙剣を盗み見た旨が記載されていた。曰く、隠し火を持って伺い見たとされ、どれほど正確かは不明だが、記述によると、長さは二尺七寸(約81.8cm)、刃先は菖蒲の葉のようで、中程に厚みがあり、色は白とされている。

皇居
 紀元前、第10代崇神天皇の頃に作られたとされる複製品(レプリカ)が宮廷に置かれており、現在、皇居 吹上御所の「剣璽の間」に、この剣が神璽(八尺瓊勾玉)がと共に置かれているとされる。
 しかしこの複製品は盗難に遭ったり、水没したりと、さんざんな目にあい続けている。
 草薙剣盗難事件で戻された剣が一時的に宮廷に置かれたこともあったが、686(朱鳥元)年に熱田神宮に戻されており、以降、皇居に置かれた草薙剣は複製品のみである。

壇ノ浦の戦い
 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、1185(文治元)年、壇ノ浦の戦いで敗北した平氏一門が海上へと身を投じる中、二位尼が宝剣(草薙剣)と神璽(八尺瓊勾玉)を持ち、第81代安徳天皇も按察の局に抱かれながら入水し崩御あらせられ、平家は滅亡したとされる。
 内侍所(八咫鏡)は船に残ったものを、神璽(八尺瓊勾玉)は海上に浮いたものをそれぞれ回収できたが、二位尼が腰に差していた宝剣は遂に上がらず、そのまま赤間関(関門海峡)に没したとする記述がある。
 このため第82代後鳥羽天皇が即位できず困ったとされているが、遂に見つからず、伊勢神宮より形代の剣を献上させ、これを草薙剣として以降用いるようになったという。
 また、南北朝時代には、盗まれたり、第96代後醍醐天皇(南朝)により敵を欺くための模造品が作られたりと、様々な変遷を遂げた。

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