崇神天皇
読み:すじんてんのう
第十代天皇陛下。
目次
神
天皇
情報
御略歴
皇統
皇后
皇子
系譜
神話
陵墓・霊廟
前後の天皇
神
天皇
生没: 紀元前148年〜紀元前30年、宝算118
在位: 紀元前97年〜紀元前30年
情報
御名 ‐ 御間城入彦五十瓊殖尊(ミマキイリヒコイニヱノミコト、日本書紀)
続柄 ‐
開化天皇
第二子
母神 ‐ 伊賀色謎命(イカガシコメ、古事記では伊迦賀色許売)
御略歴
紀元前148年 ‐ 誕生
紀元前130年〜97年 ‐ 皇太子
紀元前97年〜30年 ‐ 崇神天皇
紀元前30年 ‐ 崩御
皇統
皇后
皇后は御間城姫(ミマキヒメ、古事記では御真津比売)で、他に二柱の妃がいる。皇后は二月辛亥朔丙寅の日に皇后になったとされる。以下、名は日本書紀を主、古事記を従とする。
妃:遠津年魚眼眼妙媛 (トオツアユメメクワシヒメ、古事記では遠津年魚目目微比売)
妃:尾張大海媛 (オワリノオオアマヒメ、古事記では意富阿麻比売)
皇子
皇子は日本書紀で11柱、古事記で12柱である。
皇后:御間城姫
活目入彦五十狭茅尊 (イクメイリビコイサチノミコト、古事記では伊玖米入日子伊沙知命、
垂仁天皇
)
彦五十狭茅命 (ヒトイサチノミコト、古事記では伊邪能真若命(イザノマワカノミコト))
国方姫命 (クニカタヒメノミコト、古事記では国片比売命)
千千衝倭姫命 (チチツクヤマトヒメノミコト、古事記では千千都久和比売命)
伊賀比売命 (イガヒメノミコト、古事記)
倭彦命 (ヤマトヒコノミコト、古事記では倭日子命)
五十日鶴彦命 (イカツルヒコノミコト、日本書紀)
妃:遠津年魚眼眼妙媛
豊城入彦命 (トヨキイリビコノミコト、古事記では豊木入日子命)
豊鍬入姫命 (トヨスキイリビメノミコト、古事記では豊入日売命)
妃:尾張大海媛
大入杵命 (オオイリキノミコト、古事記)
八坂入彦命 (ヤサカイリビコノミコト、古事記では八坂入日子命)
渟名城入姫命 (ヌナキイリビメノミコト、古事記では沼名木入日売命)
十市瓊入姫命 (トオチニイリビメノミコト、古事記では十市入日売命)
記では伊賀比売命が書かれ、五十日鶴彦命は書かれていない。
対し紀では伊賀比売命は記述がない。
また、大入杵命も古事記のみに記述がある。
系譜
崇神天皇
(父)
開化天皇
(祖父)
孝元天皇
(曾祖父)
孝霊天皇
(曾祖母)細媛命
(祖母)欝色謎命
(曾祖父)大水口宿禰命
(曾祖母)坂戸由良都姫
(母)伊賀色謎命
(祖父)大綜麻杵命
(曾祖父)大水口宿禰命
(曾祖母)坂戸由良都媛
(祖母)高屋阿波良姫
(曾祖父)
(曾祖母)
神話
崇神は、神武‐崇神‐応神という、歴代天皇の中で神の字を持つ僅か三柱の天皇の一柱である。日本書紀には甲申の年 正月十三日に
即位
したとされ、また短命であったと記されている。
日本書紀の1年を太陽暦の1年とすると紀元前の現人神となるが、近年の研究では日本書紀の1年は太陽暦の1年と異なる(春と秋に年を数える)という説があり、研究家の間では西暦340年前後に実在した人物である、と考えられているようである。
陵墓・霊廟
陵は、奈良県天理市柳本町の
山邊道勾岡上陵
(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)とされている。
前後の天皇
9
開化天皇
‐ 10
崇神天皇
‐ 11
垂仁天皇
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